決断コーチの、井上由紀です。
修行好きなMのわたしにピッタリ!
わざわざ忙しい年末年始に突如始まった
「井上さん、何やさん?」シリーズ、
全体像はこんな感じの予定。
前回は、自作自演を満喫した結果
「遊んでばっかりいないで働け」
というオチがついた話でした。
今回は、それからバリバリ働いて
お金を貯めてやってきたカナダ国での
さらなる実践・冒険記です。
ここでいきなり、脱線です
本来は、上で書き始めたように
「カナダ国での冒険、始まり始まり~」
と続くはずなのですが、
ちょっと書きたいことが出てきたので
それをまず書きます。
このシリーズは、優等生性を捨て
わたしが本当に好き放題書く、という
裏テーマに基づいてやっていますので
こういうのはアリってことで。
さて、その「書きたいこと」というのは
スピマスターに教えていただいた
「人間の意識の仕組みと特異性」です。
かなり壮大なスケールの話ですから
口をあんぐりしながら読んでください。
北極に水着で行く不思議な存在・人間
わたしたちには、それぞれ
持って生まれた個性や特質があります。
にもかかわらず、
常識とか、他者の価値観に影響され
自分が本当にやりたいことを
無視してしまうことがあります。
無視しているという意識さえなく、
本当は他人の作った価値観なのに
それが自分自身の価値観だと
信じ込んでいる場合もあります。
これをミッショニング的に解説すると、
魂とは「意識」であり、
人はそれぞれの意識をもって生まれてくる。
意識は「情報」です。
魂、意識というのは、その人固有の特性情報。
強みや弱み、使命などの情報であり
それが「意思、意志」を生み出します。
(※正確には、魂は意識+生命エネルギー)
しかし、意識は波動であり
「他の意識の影響を受ける」
という性質があります。
現代は情報が非常に多いので、
自分自身(センサー)を整えていないと
すぐに自分以外の情報に
意識が置き換わってしまいます。
今日はこれをやる!と決めたのに
メッセージがピコーンと入り
質問に答えようとリサーチするうち
うっかりYouTube見て気づけば一日終了。
などと時間をムダにしてしまうのは
あなたの意思が弱いからではなく、
この情報溢れる現代では
致し方のないことなのです。
だから、自分固有の特性を活かし
人生を真に生きるためには
「意図的に自分を整える」ことが必要。
それによって、本当にやりたいことや
向かうべき方向、やるべきことが
感覚として、自分で分かるようになります。
さて、ここで興味深いのは
動物は「本能」のみで生きているので
雑情報の影響は受けない、という点。
これを聞いて、わたしは思いました。
そもそも論として、人は
自分の使命を全うしようとして
そのための特質を持って、生まれてくる。
北極に行く人が完全装備で出発するように
こういうことがしたい、という使命遂行に
必要なギアを持ち合わせて生まれてくるわけです。
北極だから、水着は要らないね。
防寒着は必須アイテム!そんな具合です。
ところが、人の意識というのは
他の影響に置き換わる可能性をはらんでいる。
水着は要らないから持ってこなかったのに
誰かが「水着、カッコいいよ!」と言うので
そうだよな、防寒着なんか重たいし
水着でスマートに行きたい!と思ってしまう。
そうなると、水着なんだから
贅肉は全部そぎ落として!
ということで、防寒と体力維持に必須の
脂肪をドンドン落としてしまう。
で、努力してスリムになって
これまた頑張って手に入れた水着を着て
北極に向かったら寒すぎて
動きが止まったり故障したり。
自分の個性、持って生まれた目的から
外れた道を選んだために
人生が展開しない、というのは
水着で北極に向かって苦労するような感じです。
あるいは、防寒着でハワイに行って
やっぱり残念な結果になるかもしれません。
しかし、人間以外の生物はそんな迷走はせず
生まれて来た目的のまま、生きるといいます。
ネコもひまわりも麹菌も
ほかの何者になろうともせず、
それぞれが備え持った特質を用いて
生まれて来た使命をただ、生きる。
だったら、どうして人間は
本能だけでなく「意識」を持つのか。
水着がいいよ~とか、ハワイがいいよ~とか
「誰かの声」に影響されない、
本能オンリーだったらことはシンプル。
防寒着着てきました。北極行きます。以上。
そんな感じになるはずです。
なのに、どうして人間だけが
他の意識の影響を受けてしまうという
特殊機能を持って生まれてくるのか。
それはまるで
他の影響を受けるという「揺らぎ」を
わざと仕込んでいるようにさえ思えます。
そこにはどんな意味があるのでしょうか?
マスターにこの質問をすると、
なぜ人間だけがそうなのかは
分からないが、と前置きがあった後
人や宇宙の起源の話が始まりました。
人も宇宙も「揺らぎ」から生まれた
まず、大前提としてこの世界は
「揺らぎ」と切っても切り離せません。
宇宙を含める万物は、揺らぎにより
「時空間」が発生し広がる過程で
生まれるのだそうです。
揺らぎは常にそこにあり、
揺らぎがあるからこそ
宇宙を含むすべてのものが生まれています。
宇宙の始まりであるビッグバンも
揺らぎ(破れ)なのです。
しかし、ここで疑問が沸きます。
じゃあ、その揺らぎ(破れ)は
そもそもどうやって生まれた(る)の?
その答えは、なんと
あちらの世界でもよく分かっていないそうな。
しかし実際に起こる現象から
新しいものは揺らぎから生まれること、
その際にプラズマが関係していることは
間違いないようです。
こうして、なぜだか分からないけれど
突然変異として起こる揺らぎから
万物が生まれてきました。
そして、人間だけが持つ意識の特性
言いかえれば今のわたしたちのような
意識を持った人間というのも
揺らぎから生まれたようです。
それ以前は、人も他の生物と同じく
本能だけで生きていたそうですが、
その間にさまざまな情報(学び)、疑問を
持つようになったそうな。
その情報や疑問は
エネルギーにインプットされ、
肉体が朽ちても残るエネルギーに
それがどんどん累積されていきました。
そんな中、ある時この
情報・疑問が積み重なってきたエネルギーに
揺らぎが起こりました。
それが、意識の始まりだということです。
まとめると、あちらの世界でもまだ
完全に解明されていないメカニズム
「揺らぎ(破れ)」によって、
人の意識は生まれました。
本能で生きる生物の中で、とりわけ
人はその情報や疑問への関心が高かったり
追求する真剣さが強かったから
その突然変異が人間だけに起きたらしい。
そういうことになります。
わたしたちの意識は本能のように
単純明快な直線ではなく、
他の情報と浸食しあう可能性がある
「揺らぎ」を持っています。
そして、揺らぎは時空間を広げ
そのプロセスで新しいものが発生するという。
この人間ならではの
面倒くさいシステムがあるのは
もしかしたら偉大なる「創造」のため
なのかもしれませんね。
じゃ簡単に、カナダの話
タイトルに付けた割には
ま、そんなに話す必要ないか?
という気もしてきたカナダの話。
一言で言えば、
固定観念をぶっ壊すスピードアップ
このために、異国に来たのかなと思います。
外国人っていうことで、
無能が許される免罪符をもらい
自分の無能ぶり満喫ライフ。
無能万歳を体験すると
世界観変わるよ的な話になるのかな~と
書き出したものの、なんか筆が進まない。
で、一晩寝た朝に思い浮かんだのは
最初の英語のクラスで出会った
メキシコ人の友人でした。
当時わたしは25?26?歳。
彼女は確かまだ
20歳になっていなかったと思います。
いつもニコニコ、陽気で明るく
冗談も大好きな子だったんですが、
わたしがあることを言うたびに
真顔で注意してくれました。
その「あること」というのが
I’m stupid (わたしバカよね)
「謙虚」の家紋のもと
日本という一等地で醸成された
自意識過剰の26歳女子にふさわしい
口癖だったと思います。
しかし、それが出るたびに
ニコニコしていたRちゃんの目が
「キッ」となって
「ユキ、あなたはバカじゃない!そんなこと言ってはダメ!」
と怒られました。
何回も、何回も怒られました。
それから20年以上が経った昨年、
連絡が取れなくなっていた彼女でしたが
突然、Facebook でわたしを見つけ
メッセージをくれたのでした。
そんな体験からも、わたしは
人と人とのつながりは
語彙や文法ではないと思っています。
そうだ、そうだ。
きっとこの回では
わたしはここを、一番書きたかったし
書くべきなのだと思います。
英語は、話せないより話せた方が
確かによいと思います。
でも、語彙とか文法以上に
「心(自分)の在り方」
これが、強力な武器になります。
コミュニケーション力と言語力は
被ってはいるけれど、イコールではないのです。
わたしがカナダに来て
一番学んだことというのは、そこですね。
今分かりました。
日本語でも、同じだと思います。
何語でも同じです。
一番大切なのは、自分の在り方。
そこには、自他への「尊重」も含まれます。
それが愛という言葉になったりもする。
素朴であり、素朴であるがゆえに
逆に洗練されすぎてしまった場合
難しいことになるという逆説。
凝れば凝るほどマズくなる料理のようなものです。
で、タイトルなんでしたっけ。
「はっちゃけて野生に帰る」だったね。
ということで、造園です。
わたしはカナダに来て、ドカタ業に入りました。
肉体労働者です。
土や岩、植物との出会い。
肉体を効率的に使う、心技体の研磨。
天気を読む、という概念との出会い。
「庭」の背景に流れる思想。
庭=人x空間x時間 とも言えるのです。
時空間であり、自然という
想定しきれない要素を想定する。
これ、揺らぎだよね。
たまたまご縁をいただいて
入り込んだ造園業界でしたが、
おかげで自然と人との関係を
深く考える機会となったのです。
カナダと言えば自然、という
イメージはあるかもしれません。
自然の近くにいるだけで
得るものは確かにあると思います。
わたし自身、田舎育ちですし
だからこそ固守できた感性は
あるんじゃないかな、とも思います。
しかし、さらに自然というものを
科学や先人の知恵を通して学ぶことで
自然との関係性がより濃厚になります。
このように、わたしにとっては
カナダに行っちゃった、という
物理的な移動によって
価値観と感覚値がブワッと拡大しました。
神童だの人と違うだの
そんなことはどうでもいいよ。
まさしく石ころゴロゴロの中の
ひとつの石ころになれました。
そこにあったのは自由であり
同時に、自分自身で勝負という
厳しくも清々しい現実でもありました。
スピのガイドさん曰く
自分の使命にのっとって生きれば
・仕事
・お金
・パートナー
この3つが、最終的には
ぜんぶ手に入るのだそうです。
さて、井上の場合はどうなのか?
次回はお待ちかね、
ついに「悪魔」が出てきたぞ!
シリーズクライマックスへ向けて
語って行きたいと思います。
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