井上さん、何やさん?シリーズ5)悪魔のパートナーと宿命のデスマッチ

決断コーチの、井上由紀です。

その日の気分で脱線アリ。
何が出るのかもうサッパリ分からない
手に汗握る「井上さん、何やさん?」シリーズ。

一応、予定ではこんな全体像になるはず。

前回は、カナダと見せかけて
人間だけが浮気性なのは
どうやら創造のためらしい、という話
でした。

浮気と言えば男女の仲、今回は
わたしが手に入れた?
それともハメられた?
悪魔のパートナーのお話をします。

では、かっ飛ばして行きます。

滅多に出ない悪魔カード、出ました

1年ほど前、ご縁のあった方が
話の途中で「よかったら」と
タロットを引いてくださいました。

そうしたら、

「おや」

と出て来た、悪魔のカード。

その方は、悪魔っていっても
別に悪い意味じゃないですよ~、
悪魔的な魅力というように
強烈な魅力のあるもの、という意味もあります。

ロマンスに関することとかね。
わたしが引くと、恋愛関係のカードは
ほとんど出ないんですけどね。珍しいな~。

といったことをおっしゃった。

これにより、以前から噂されていた
うちのパートナー悪魔くん疑惑が
いよいよ表面化してまいりました。

「人生はストーリー」に関する考察

で。

今回も「悪魔のパートナー」について
いろいろ書こうと思ったんですが、
うちの悪魔くんがどんなに大変かというのは
別にどうでもいいのだと気づいた次第。

ということで、
もうちょっとメタ視点から
このテーマ周りを眺めてみましょう。

まず、タロットにおける
悪魔カードの一般的な意味ですが

・誘惑
・束縛
・執着

キーワードはこの辺りのようです。

さあ、また出ました「執着」。
石ころを目指したわたしとしては
思わずドキッとしてしまうポイントです。

20代、30代のわたしなら

「もしかして、一緒にいてはいけないのかも?」

なんて、悪魔くんとの関係を
疑い始めていたでしょう。

しかし、約10年前に
「地獄の底までこいつのパートナーだわ」
と腹をくくってしまったので、もはや

「あ、悪魔ね。あははははその通り!」

と、素直に受け止めらる自分がいました。

悪魔くんは、とても大変な人ですが
裏を返せばものすごい人でもあります。

まさにリアルシュレック。

引用:Lad BiBLE より

ここで、質問です。
もしあなたがシュレックと結婚したり
シュレックがお父さんだったら
毎日はどうなると思いますか?

かなりダイナミックで刺激的な
人生になると思いませんか?

そうなんです。
悪魔くんとの人生は、なんといっても刺激的。
振り回されてヘタらないためにも
ムキムキと生命力が湧いてきます。

ちなみに、うちの悪魔くんは
人としての道は踏み外していません。

悪人ではなく、悪魔ですから。

シュレックみたいに、根っこの部分は
たぶん本当にいい人。愛の塊。
ただ、思い込みが激しく行動が極端なので
誤解やトラブルも激しいだけ。

天才性もある代わりに
恐ろしく子供っぽいところもあります。
当たっても外れても、何かと人騒がせ。

こういう人の人生は、ドラマチックです。
歩く映画の主人公です。

ただし、リアルな人生というのは
映画ほど都合よくは進みません。

悪魔くんの人生は創造的であるとともに
破壊的でもあります。
なので、破壊に耐えらえる体力がないと
そこでゲームオーバーになってしまう。

じゃあ、その破壊に対する
耐久性の差がどこにあるかというと、
おそらくは

「どれだけ自分を信じられるか」

そして

「愛」

なんじゃないかなぁと思います。

さて、ではシュレックのお相手
フィオナはどうでしょうか。

引用:ウィキペディア

期せずして映画解説になっていますが
せっかくなので続けます。

フィオナは呪いをかけられたプリンセス。
待ち人来るで呪いを解くキスにより
「美しい人間」に戻るのかと思いきや
「醜い怪物」に一本化したという稀有な方。

シュレックという「想定外」の
True Love(真実のパートナー)を得て、
美とか権威とか衛生観念とか
今までの価値観が全部、ぶっ壊れました。

ぶっ壊してみれば、
別に人間がいう美女じゃなくていいし
おならも芳香になってしまった。

そして、人生がとっても楽しくなった。

古い価値観、固定観念が壊れ(破壊)
新しい価値観が生まれた(創造)わけですね。

「他人」になろうとしていた自分を破壊し
True Self(真実の自分)になった、
という見方もできそうです。

これを、シュレックとフィオナ
お互いがそれぞれの立場で
それぞれ勝手に体験しているわけですが、
全体としてまとまりのよいダンスになっている。

ただし。

全てのケースが彼らのように
2時間前後で最後は踊ってゴーゴーと
効率的、発展的に進むわけではありません。

破壊と創造をする本人x環境。
それぞれの解釈、選択、決断で
幾通りもの可能性があります。

これが「ストーリー」の面白さであり
「生きる」ということなのかな、と思います。

四十九日で起こるらしいこと

いきなりですが、人が死ぬとどうなるんでしょうか。

ミッショニングでは、
閻魔さまの裁きはないと言います。

神様や閻魔さまといった
第三者的な「裁判官」は存在せず、
自分で自分の一生を静かに振り返る。

仏教でいう四十九日が、その
振り返りの時間に当たるのだそうです。

そこでは、何かで成功したとか
こんな過ちを犯してしまったとか
「何をしたか」は、特に問題にはなりません。

しかし、人生でいろいろと体験した中で
「何を感じ、学んだか」
ここを、じっくり精査することになります。

ここで思い出していただきたいのが
前回の万物誕生の話で触れた
人の意識誕生のプロセスです。

人はもともと、本能だけで生きていた。
しかし、その中で起こる
学び(情報)と疑問がエネルギーに累積され
意識が誕生した。

つまり、人という存在はもともと
「情報を収集、解析、累積する」
という性質を持っている模様。

なので、死という形で
生の一サイクルを終えた後の作業は
データの見直しとそこから得た学び、
そして疑問の洗い出しになります。

こう考えていくと、カルマというのも
前世で悪いことをしたから
今世ではそのしっぺ返しがくるよ、
ということではない、と分かってきます。

前世で誰かを殺したから
今世では自分が殺される、という理屈なら
戦争などを体験している人類は
ほぼ全員殺される運命にあるはずだ、と。

ごもっともだと思います。

なので、生きている時間は何であれ
「情報収集と創造の時」。

情報収集=いろんな体験 です。

そして「創造」が、その体験を通しての
自分なりの学びであり、ストーリーです。

ということは?

つまり「悪魔とのデスマッチ」だった

「人生、いつかは苦労が実って楽になるのでは?」

そんなこと、思ったことはないですか?
わたしは、よく思っていました。

今の苦しみはきっと報われる。
お金、仕事、パートナーが揃って
こころの安定がもたらされる。

でも、今回のアセンションで
そんな希望的予測はひっくり返りました。

いやいやいや。
多分これ、死ぬまで続く「デスマッチ」だぞ。

これはもしかしたら、修行好きな
武闘派のわたしだからかもしれません。

が、まとめると

・人生は修行
・パートナーは悪魔くん
・破壊と再生が人生のスパイス

悪魔くんと関わっている時点で、
わたしの人生に「平安」という言葉はない。

一方で、
「覚悟」「開き直り」「必死」
という言葉が刻み込まれました。

ちなみに、わたしにはどうしても
悪魔くんでないといけない理由があります。

それは、彼が「打たれても立ち上がる」
明日のジョーみたいな人だからです。

それ以前に関わった人たちは、みんな
わたしのエネルギーに押しつぶされそうな
とても繊細な部分がありました。

だから、遠慮があった。

ボクシングの練習で、
スパークリング相手に遠慮する感じです。
(ボクシングやったことないけど)

「わたし」全開が、制御されていました。

しかし、悪魔くんだけは
思いっきり本気で向かっていって
ガガガ!とパンチを打ち合って
最後に「お疲れ!」と言える相手。

そして、またスパークリングやろうね!
と、終わったら仲良くビールを飲み合える相手。
(わたしはお酒飲みませんけど)

ちなみに、悪魔くんも繊細なんですよ。
ただ、年季のせいか何だか分かりませんが
壊れそうで壊れない。
っていうか、さらに鎧をパワーアップさせる奴。

いや、鎧じゃない。
自分自身を、パワーアップさせてきます。

そうするとまた、わたしも
自分をパワーアップするしかなくて
スパークリングがさらにエキサイティングに!

悟空とベジータの関係に似てるのかも。

こんな相手はそうそう見つかりませんし、
だから「死ぬまでデスマッチ」。
きっとわたしの人生はこの後も
ドラマのネタに事欠かないことでしょう。

そうやってたくさんの情報収集をして、
それを四十九日で解析して
宇宙に貢献しようと思います。

ということで、ますます健康管理
大事だな、と思いました。

愛し合ってるかい?

そんなこんなで
人生とはデスマッチが理解できたところで
次回はもう一回、Dower(行動する人)
そこに戻ってみようかと思います。

お楽しみに~!


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