こんにちは。井上由紀です。
カナダのノバスコシアというところで自然と戯れながら生きています。

今でこそ「腹の座った」母、友人、コーチとして、人様の人生に関わる責任と覚悟を持っていますが、ここに至るまでには長い紆余曲折がありました。

25歳でカナダに来た理由

時は1996年、日本にまだ「ブラック企業」なんて言葉が無かった平和な時代。わたしも、当時の勤務先でずいぶんよくしていただきました。
にも拘らず、仕事を辞めて1年間のカナダ行きを決めます。その理由は…

「恋のもつれ」

でした。
今思えば、かなり病んでいたと思います(爆)

行き詰まり感を感じていたわたしは、日本を脱出して心機一転、全く違う環境で自分を立て直したかったのです。

元カレの真逆タイプと結婚、そして…

日本で泥沼恋愛を経験したわたしは、自分の恋愛観に完全に自信を無くしていました。
そんな時にカナダで出会った、元カレと正反対な日本人男性は、まるで神様が「つかみなさい」と差し出したチャンスのように思えました。

正直な所、感情が強く揺すぶられたわけではありません。
でも、極端な盛り上がりもない代わり、引き裂かれるような痛みもない。その穏やかさが、新鮮でした。
カナダ滞在を希望する彼の意向に沿い、そのまま流れるようにして結婚、二児をもうけます。

が、13年連れ添った末に離婚。
結局、わたしは「尽くしてくれる優しい人」ではなく「強い自我を持った人」と、人生を共にしたかったと思い知ることになりました。

元旦那さんには大変申し訳ないことでしたが、自分の本心に目を背けた生き方は、じわじわとわたしの健康を蝕み始めます。
これ以上無理を続ければ寝たきり廃人になると思い、最終的にお別れを切り出しました。

再び直感恋愛の末、一緒に住みだしてビックリ

時を同じくして、旦那さんとは真逆、つまり元彼と同じタイプの現パートナーと、やっぱり泥沼恋愛の末、人生を共にすることを覚悟。それまで住んでいた都会から、遠く離れた田舎へと引っ越しました。
やっと無理せず生きられると思ったのもつかの間、一緒に住みだした途端に、紳士と思っていたパートナーのモラハラが始まります。

「絶体絶命」

という言葉が頭に浮かびました。

肉体的な暴力は一切ありませんでしたが、彼の言葉の暴力がわたしを追い詰めました。
頼る人もいない僻地で、このまま彼に頼っていては大変なことになる。
そう思ったわたしは、起業の道を模索し始めたのです。

「自分」を確信させてくれたミッショニングとの出会い

パートナーの理不尽な暴言に悩んだ時期、わたしは必死に情報を探しました。

どうすれば自分のメンタルを保てるのか?
どうすれば彼との会話を正常化できるのか?
子供たちをどう守ればいいのか?

そんな時出会ったのが、今はもう閉じられている「魂の掟」というブログでした。
それをきっかけに、ミッショニングという数秘術の一種を学び始めます。

そこで、自分の人生の方向性が見えてきました。

わたしの魂パターンは【20/2】というもので、共依存の傾向を持ち合わせています。
同時に管理が得意。人の世話や仕事が大好きなサポーター。
課題は、人間関係。そして、人の成長を促すのが使命。

これまでの人生に照らし合わせると、恐ろしいくらい辻褄が合いました。
そして、自分の本質がくっきりと浮き彫りにされたことで、ビジネスの方向性も固まりました。

「人が成長するお手伝いをする」

それまで何となく考えていたコーチという仕事でしたが、それで世界に貢献する、そのために出来ることは全てやる、と覚悟が決まったのです。

試行錯誤の末、モラハラパートナーの扱い方をマスター

人は「窮鼠猫を噛む」追い詰められて発奮するタイプと、その逆につぶれてしまうタイプがあると思いますが、わたしはおそらく前者。
パートナーの態度に追い詰められた結果、わたしは最終的に「無視する」という技を、必要に駆られて編み出しました。

要するに、売られた喧嘩を買うからいけないのであって、買わなければそれ以上ヒートアップしない。
そのことにようやく気付いたわたしは、まるで「悪魔退散」と念じながら冷や汗を垂らして坐禅を組んでいたお釈迦様(by 手塚治虫著「ブッダ」)のように、彼の暴挙を「無視、無視」と心の中で、時には声に出して呟きながら、受け流す努力を必死に続けました。

その甲斐あってか、やがて彼の態度は穏やかに。

詳細は拙書に記しましたが、この経験から、本当に多くの学びを得ました。
現在は、時にお互いの地雷を軽く踏み合いながら、トムとジェリーのように仲良く暮らしています。

ミッショニング的に言えば、惹かれ合う二人というのは、お互いに学ぶことがあるから。
結果論ですが、わたしは少々ハードでも自分を成長させてくれる「マインド格闘技」の稽古相手を、パートナーとして求めていたのだと思います。

まさかの展開、2021年

こうして田舎生活も8年を越え、子供たちも手が掛からなくなりました。
そんな2021年の初夏。急転直下で緊急入院、子宮頸がんのステージ3と告げられました。

抗がん剤と放射線治療のため、都市部へ6週間余りの滞在。
詳しくはこちらで書きましたが、一言で言うと、人生後半に向けてリフレッシュしました。

無事治療を終えて帰ってきた2カ月後、今度はなんと、パートナーが救急車で集中治療室に。
正直、彼はもう戻ってこないかも、と思った瞬間がありました。
わたしが入院した時も、家族にそんな思いをさせていたかもしれません。

お陰様でその後の経過は良好、家族そろって無事、新しい年を迎えることができました。
振り返ると夢のような1年でしたが、物質的には何も変わっていない毎日の、空気や光が微妙にシフトしたような気がします。

そして、現在に至る

ザックリ言うと、わたしの人生は「自分を殺して人・周りに合わせる」ことをやめ、批判や非難されるリスクを負ってでも、自分が本当に向かいたい方向へ進む、という学びの変遷です。
その過程に恋愛があり、結婚・離婚があり、現パートナーとの格闘があり、起業があった。

ただ、それは単に「自分がやりたいこと」だけではなく、人を尊重し、大切に思い、一緒に成長し幸せになれる方法の模索でもあります。
そして、そうだからこそ、ビジネスは成り立つのだとも。

そう思っていたところに、怒涛の2021年。
限られた時間と命の使い方、という新しい視点が加わりました。

人は、生きている限り、人と、世界と、関わり続けます。
その関りを、せっかくだから楽しもうよ。

能動的に生きることは、決して暑苦しく活発ということはなく、静かな能動性というのもあります。
人と能動的に関わること、コミュニケーションは、言葉数が多いか少ないかの問題じゃなくて、間合いとエネルギー。
いろんなかたちで、世界とダンスしてみるのは、楽しいんじゃないかな?

そんな思いで、このブログを書いています。