夢を見た。
気持ちのよい初夏の日差しの中、
港沿いの長いアスファルトの道を
歩いていた。
箱型の近代的な建物。
すれ違うランナーの鍛え上げられた筋肉。
走ることだけを考え、前を見つめる眼。
それは、この夏療養のために滞在した
ある小さくて美しい都市の
週末の一風景だった。
***
今年の6月初め。
エコー検査の結果について
話があるから、と呼び出された後
まさかの緊急入院。
長くダラダラと続いていた出血の結果
ヘモグロビン血が極端に低下、
心臓発作の恐れがある、ということで
救急車で2時間半の病院へ送られた。
緊急入院の目的は
「出血を止める」ことだったのだけど
出血の原因は「子宮頸がん」。
病院の予約がなかなか取れない
カナダの医療事情の中、
緊急扱いされたおかげだろうか。
あっという間にがん治療となった。
今朝夢に出てきたのは、
放射線治療で滞在した6週間
散歩した、港沿いの、とある場所。
***
夢は、何かを暗示しているという。
わたしは昔から、占いのたぐいは
「視野を広げるひとつのツール」
としてのみ、活用してきた。
パートナーに言わせれば
コントロール狂のわたしは、
何かに依存することで自分の
自由意思を乗っ取られるのが怖いのだ。
だから、どんなに凄い人が語ることでも
中国何千年に伝わる知恵であっても
「外からの情報」を妄信することはない。
まして、それを他人に
「こうなんだから!」などと
真実のように語ることもしない。
しないというより、できない。
だから、
「自分の内側からの情報」
にこだわるコーチングという仕事を
選んでいる、とも言える。
話が逸れたが、要するに
「外からの情報」は刺激であり
大切なのはその刺激によって
「内になにが起こるか」の方。
夢を見て目覚めたとき、
わたしの中に起こったことを
その灰汁だけでも書き留めたくて
これを書くことにした。
***
わたしは朝が好きだ。
起き抜けに
インスピレーションが落ちてくる。
あまりにいろいろ一度にやってきて
メモをするのが追い付かない。
それはイメージであり、アイデアであり
言葉であり、感情である。
様々なものがごちゃまぜになり
一気にドドドッとやってくる。
そう!そう!そうなの!と
心の中で叫びながら
1時間もすればそのほぼ全てが
溶けて蒸発してしまう。
そうやって、書きかけてはボツにした
ブログ記事は数知れない…
しかし、今朝はそのことも含めて
何か書けそうな気がするので、
凝りもせずトライすることにしよう。
***
タイトルはすぐ決まった。
本来、マーケティング的に言えば
タイトルは最後に決めるべきだし
人にはそう教えていたりする。
しかし。
今日は、いいのである。
今日はカミングアウトの日だからだ。
わたしのカミングアウトには
いくつかの意味がある。
ひとつは、ガンをやったということ。
宣伝するものではないのだが、
やはり知らせない訳には行かない人々には
治療の渦中、事情を説明した。
家族、友人、地域の方々から、
仕事関係の方から、
ご心配と、たくさんの愛情をいただいた。
治療中、うれし泣きは何度も何度もあったが
辛くて泣いたのは1回だけ。
わたしは、事実上「幸せなガン患者」となった。
(ちなみに現在も、たびたびうれし泣き)
ガンによる一連の体験は
これからのわたしの活動につながる
貴重な体験と実証を与えてくれているので、
今後もあちこちででてくるだろう。
なので、今日は初の公式カミングアウト。
10月1日だし、新しいことを始めるにも
ふさわしい、という気がする。
そういうことにしておこう。それでいいのだ。
***
もう一つのカミングアウトは
これは個人的なおどろきの方が強いのだが
自分の「詩人」としての本質が
ふたたびカミングアウトしたな、と。
実は10代後半から20歳くらいまで
詩を書いていた。
それに節をつけ、歌ってさえいた。
それからいろいろあり、カナダに来て
どっぷり英語に浸かることで
日本語から一旦遠ざかった。
日本語から遠ざかることで
日本にいたら考えざるを得なかっただろう
思考から、遠ざかった。
その頃から、以前のように詩が書けなくなった。
大人としての社会経験は
すでに日本よりカナダでのほうが
圧倒的に長くなった今、
英語で物を考えることの方が多くなった。
英語でしか学んでないことが多いので、
日本語で何というのか
知らないことがたくさんあるから。
しかし、わたしは根本的に
言語学習が好きなわけではないので、
英語の語彙力は低いし、表現力も限られている。
日常の生活には困らないし
自分の興味関心があるエリアでの
コミュニケーションには強いが、
専門用語や微妙なニュアンスは不得意。
英語も、インプットがもっとあれば
おそらくは繊細な心の機微も
もう少しうまく表現できるのだろう、と思う。
だけど「英語の勉強」は嫌いなのだ。
日本語だったら暇さえあれば「読みたい」本は
英語だとだいたい「読まねば」になる。
英語自体が、たぶん好きじゃないのだと思う。
言語として。
わたしは、感性を形にする道具としてならば
日本語の方が断然、大好きなのである。
だから、英語で詩を書くことはできない。
日本語のようには、感覚が入らない。
その日本語でさえ、もはや
かつてのようには書けない。
むかし自分自身が書いた詩を読んで
「すげぇな、こいつ」
と、自画自賛することが時々ある。
ただ、最近分かってきたのは
それはむき出しの感性がスゴかっただけで
実践という意味では間違いなく
今のわたしの方がスゴイのだ、ということ。
言葉というツールを使わせたら
かつての自分の方がスゴかったかもだけど
実践に向かう心持ちなら
今の方が明らかにレベルアップしている。
なんせ、たたき上げだから!
と、自負している。
ともかくそういうわけで(どういうわけで?)
わたしのこの10年ほどの思いは
「日本語も英語も中途半端」
だったのだ。
おそらくは、ビジネスとか
ちょっと勉強し過ぎたのかと思う。
ブログ書く時も
パターンなど、意識するようになって。
それはそれで、間違いではない。
ひとつの「正解」でもあると思う。
でも、そんな長い道を経て辿り着いた
今朝、分かった気がする。
わたしは詩人なのだ。本質的に。
だから、自由に書けばいい。
ということで、このブログでも
こういう気分の時は
フリースタイルで書くことにする。
***
さて、話を夢に戻そう。
その風景は、この夏に歩いた
開発された港付近の区域だった。
それはいったい、何を意味するのか?
ふたつのことが浮かんだ。
ひとつは、
「無理すると、また病気になるよ」
ということ。
ガン治療で強制的に
約2カ月のブレイクを強いられたことで
現在そのツケがまだ続いている。
机の上はひっくり返り、
メールは毎日鬼のように来るし、
全然整理が追い付いていない。
日本とカナダ、もっと言えば
世界中に友人たち、そして
クライアントさんが居るために、
ついつい、24時間ホットライン状態。
ということで、最近また
睡眠と運動が不足気味である。
よろしくないな、と感じている。
それが夢となって如実に現れたのかな、
という気がした。
もうひとつは「集中したい」。
なってみて、ガンというのは
ものすごい影響力があると気づいた。
「すみません、ガンになりまして」
というと、
仕事の予定が突然ひっくり返っても
誰一人文句を言わない。
誤解を恐れずに言えば、
「ガンなので」
というと、いろんなことに言い訳ができるのだ。
わたし自身も、さすがに
治療の過程で食欲がなくなったり
みるみる筋肉が落ちるのを目の当たりにして
「これはヤバい!」と火が付いた。
人間、これは本気でマズいぞ、となると
ものすごい力が出るものである。
わたしは、その気力を頼りに
筋トレと栄養補給、休息に全力投球した。
その一環として、新旧の織り交ざる
美しい小都市をあちこち歩き回った。
筋肉を付けるための長い散歩の中で
あの風景に出会った。
この夏、わたしは久しぶりに
雑事をホウッタラカシにして
「自分」を最優先して何かに集中する、
ということができた。
マラソン中のランナーのように
ひたすら「走る、走る、走る」
だけを考え、進むことができた。
子供を産み育ててきたこの17年余り、
こんな贅沢は一切なかった。
わたしの時間はみんなに公平に分配され
自分のための「集中」は、よくて数日だった。
それが、ガン治療という立派な名目の元
わたしは100%自分ファーストの時空を
まるごと6週間も与えられたのだ。
こんなこと言うと、
必死でガンと闘っている方には
本気で怒られそうなんですけどね。
でも、それがわたしの本音です。
治療は、もう一回したいかと言われると
したくないですけど、
過ごさせていただいた時間は
本当にありがたい、RICH なものでした。
***
結局、今朝の夢から
わたしはいったい何を学ぶのか?
「ちゃんと健康管理しなさいよ」
と思いながら
「要らないものを捨てて、集中!」
ということになるのだろうか。
言うは易く行うは難し。
でも、それをやっぱり目指すだろう。
あの道で出会ったランナーのように、
走り続けなければ
そこで終わってしまうのだから。
人生が進む限り、わたしたちは
止まってしまう訳にはいかない。
無理して心臓発作を起こしては
本当にジ・エンドだけど
疲れたら休憩したっていいから
「さて、また行くか」と進めばいい。
今日は、大切な友人と
海岸へ散歩に行ってきます。
***
夢について、こちらのブログが
とても参考になりました。
ゆきさん、いろいろありましたね。息を止めて仕事をする日が多かったのかな。深呼吸して、大地や空や水や緑を眺めていると、何もしない中にも大切なものを見つける事ができますよね。私も35年頑張った右足を膝も股関節も人工の関節に入れ替えてバージョンアップする事になり、今日入院して明日膝の手術をします。頑張り続けた身体に感謝しながら、走り抜けようとしたこの長い年月を振り返っています。誰かに頼らず頑張って来た自分を労わる時が来たのだなぁと、病室の窓の外を眺めています?。生まれ変わるぞ残りの人生って感じですね。
泉さん、ありがとうございます!
深呼吸、ついつい忘れてしまいますよね。また、しっかりと世界と繋がらなければ。
「何もしない中に大切なものを見つける」素敵な言葉ですね。本当に、生きている限り、見つけられるものは無限だと感じます。
泉さんも、長年頑張ってくれたからだの一部に感謝とねぎらいをもって、新しくバージョンアップとのことですね。
変化には痛みも付き物だけど、その痛みも「悪」や「問題」ではなく、全体の一部、それがあるからこそ気づかせてもらえることがあるのだと思います。
まだまだ、お互いこれからますます成長ですね!!!楽しみです!