「遠隔ってナニ?」の謎がちょっと解けたかも・ヨガ友との会話より

決断コーチの井上です。

先週末は、ヨガの先生である友人と
久しぶりに会って縁側ランチ。

そこで聞いた「痛みと治療」の話が
非常に興味深かったので、
今日はそれについて書いてみたいと思います。

常々、人の思考や行動、健康の
メカニズムに興味がある人に、
何か参考になればうれしいです。

「遠隔(えんかく)療法」とは

彼女から教えてもらった話の前に、
「遠隔療法」というものについて
すこしお話したいと思います。

なんて言っているわたしも
そもそも治療家ではありませんので、
あくまでもネットで調べたものや
自分の「印象」からですが…

まず「エンカク」といっても

・遠隔医療
・遠隔療法
・遠隔治療

と、いろいろあることが分かりました。
ここでは、これらを次のように定義します。

・遠隔医療

医者が患者に対して行う、
オンラインでのヒアリングとアドバイス。
実際の施術は含まない(できない)。
遠隔診察、遠隔診療などの総称。

・遠隔療法

施術者が患者に対しオンラインなどで行う
離れた場所からの治療的行為(施術)。
治療手段が波動、エネルギーなど
いわゆる「スピ系」の場で使われることが多い。

・遠隔治療

施術者と患者が「遠隔」ではなく、
患部と施術部位が「遠隔」である。
例)肩こり(患部)に対する指ツボマッサージ(施術部位)

ここでは二番目の「遠隔療法」つまり
オンラインで何らかの「治療」をして
効果が出ちゃうらしいよ、という
エンカクを想定し、話を続けます。

許せ兄弟子・実は「ホント?」と思っていた…

わたしが数秘術の一種である
「ミッショニング」
を学んでいることは
折に触れてお話してきています。

そこで一緒に学んでいる
わたしにとっては兄弟子的存在の
セラピストさんがおられます。

彼は、患者さんに軽く触れるだけだったり
触れさえもしない遠隔療法で
患者さんの痛みを軽減する、という
フシギな力の持ち主

ミッショニングの考え方、
物事を判断する指針としての素晴らしさは
わたしも重々承知していますが、
それでカラダの痛みも治る?

先生のことは、人として尊敬しているけれど
患者さんと話すだけで痛みが消えちゃうって
本当なの?なんでそうなるの???
と、実はそこは半信半疑でした。

それが、先日友人の話を聞き
先生のことを思い出して

「!!!!!」

と、点と点が繋がった気がしたのです。

「治療」って何だろう、という疑問

ということで、いよいよ友人の話に。

マッサージセラピストであり
ヨガのインストラクターでもある彼女は、
自身も長年、からだの痛みと付き合ってきています。

身体にさまざまな痛みを抱え
彼女のもとを訪れるクライアントさん。

マッサージ直後は症状が改善し
痛みも軽減したり無くなるのですが、
しばらくするとまた、戻って来て
同じことの繰り返し。

クライアントへの施術を続けながら、
痛いから揉みましょうという対処療法では
真の問題解決にならない、と感じてきました。

ビジネスとしては、
痛くなるたびに何度も来てくれる方が
リピートがあっていいのかもしれません。

しかし、やればやるほど彼女の中に
「これでいいの?」
「どうすれば本当に良くなってもらえる?」
といった疑問が大きくなっていきました。

ちなみに、わが兄弟子先生も
同じような経緯をたどったと言われます。

治療をしてその時は治ったようでも、
また痛みを訴えて戻ってくる。
オレは本当に、患者さんのことを
治療してあげているんだろうか?

実は、わたしもこれまで
「コーチング」であるはずのセッションで
同じような経験をしてきました。

いろいろと悩みを抱えながらも
前に進みたい、とわたしのもとに
来てくれたクライアントさん。

一緒に話している時は気分が上がり、
やる気に満ちたコメントとともに
笑顔でセッションを終えてくれる。

なのに、やるといったことをやらない。
来るはずの報告や連絡が来ない。

それでも
「ゆきちゃんと話すと元気になる」と、
次のセッションを楽しみにしてくれていました。

そう言われれば、嬉しくはありますが
逆に言えばわたしと関わっていないと
元気が出ない、動けない、ということ。
それは、依存です。

クライアントの成長と
自主的行動をうながすべきコーチが
クライアントの依存を助長させるのでは、
コーチングは失敗なのです…

そして、コーチであるわたしに、その責任がある。

そんな経験も含めて試行錯誤を繰り返しつつ、
相手を本当の意味で自立・成長させることが
わたしのお仕事と人生のテーマになっています。

そのためには、表面的な問題を
対処療法的に扱うのではなく、
根本的な所に取り組む必要がある。

ということで、この友人や兄弟子の言葉は
まったく他人事ではなく、
興味を持って拝聴してきました。


「痛み」を創っているのは誰?

ところで、肉体の痛みは
どうして「在る」のでしょうか?

実は先月、家人がある手術をしました。
有難いことに「お腹を切る」ことはなく
誰にでもある、とある「穴」から
器具を挿入しての内部切除でした。

この器具を挿入するため、麻酔を受けた。
それで、麻酔が切れた後は
「切った患部」が痛むのかと思っていたら
全く痛みが無い!!!(本人談)

なぜならば、その患部には
「痛みを感じる神経」が無いから。

言われてみれば、爪や髪の毛だって
身体の一部ですが、
神経が通っていないから、切っても痛くない。
同じ原理ですね。

この経験から、あらためて
痛みとは「痛いと感じるから」
存在するものなのだ、と思いました。

オムロンさんの、こちらの図が
分かりやすいです。

OMRON 痛みWith ウェブサイトより引用

痛みは、受容器(レセプター)が
痛みの刺激を受け取って
電気的な信号として脳に送ることで生じます。

逆に言えば、レセプターが無ければ
いくらそこで刺激が起こっていても
わたしたちは「痛い」と感じない。

つまりは、痛みというのは
肉体のどこかが傷つけば
自動的に感じられるものではなくて、
「脳」が感知するもの なのです。

「共感」と「痛み」と「思いやり」の関係

さて、話は戻って。
ヨガの先生である友人が言いました。

Empathy と Compassion では
それぞれ、使う脳の部分が違うのよ!

この言葉をよくかみ砕いていくと…

Empathy(エンパシー)とは「共感」。
他人の痛みや苦しみに対し
自分ごとのように感じる力です。

Compassion(コンパッション)は
「同情」とか「思いやり」。

共感があってこそ起こる心情と
いわれているようですが、
相手の苦境に対し助けてあげたい、
力になってあげたいという利他の思いです。

この「共感」ですが、そもそも
「ミラーニューロン」という
相手の様子をマネして学習しちゃう
脳の機能によるものだと分かってきています。

スタンフォード大の星さんの説明
とても分かりやすいですが、
たとえばあなたが誰かに腕をつねられ
「イタッ!」と反応する。

その時、上の図にあるように
あなたの痛み受信機は
痛みの刺激を受けて信号を脳に送り
受信した脳が「痛みだ」と認知する。

この時、脳の細胞が
特定の動きをするわけです。

ここまでは「そうだよね」なんですが、
痛い!と言っているあなたを見ている
「観察者」の脳にも、何と
あなたと同じ脳の動きが起こるらしいのです。

自分はつねられていないのに、
あなたと同じように
脳が痛みを感じる反応を示す。

このように、自分自身が
実際に体験しているわけではないのに、
観察している相手の感覚をマネする脳細胞が
ミラーニューロンです。

さらには、この「共感」を感じた後
(サイコパスでない限りは)
人は自然と「なんとかしたい!」といった
利他の気持ちが起こるようです。

これが、同情とか思いやりの心ですね。
脳細胞の動きを研究した結果、
どうやらそういうプログラミングに
なっているらしい、ということです。

流れで言うと

① ミラーニューロンで共感する
② 共感がきっかけで相手を思いやる気持ちが発生する

これを、生まれた時から
わたしたちはお互い、繰り返し
やってきている。

言い換えれば、共感も思いやりも
「自分が持って生まれた」
能力でも感情でもない、
後天的に学習されるもののようです。

そして、共感(Empathy)と
思いやり(Compassion)には、
ある大きな違いがあります。

共感は、文字通り「ともに感じる」。
誰かが痛い時には「痛い」
辛い時、悲しい時も「辛い、悲しい」と
同じように感じてしまうわけです。

そして、ともすると苦痛を感じ過ぎて
疲弊してしまうことになります。

一方、思いやりは痛みをきっかけに
力になりたいとか、助けたいという
モチベーションを生み出すので、
利他的「行動」につながることも多い。

実際、思いやりが起こっている時は
ドーパミンやオキシトシンという
ポジティブ感情に関係するホルモンが
生成されるのだそうです。

そこが、脳科学的(物理的)に見て
共感と思いやりの違いを
明確に分けるポイントのようですね。

Unlike empathy, compassion increases activity in the areas of the brain involved in dopaminergic reward and oxytocin-related affiliative processes, and enhances positive emotions in response to adverse situations 

NIH ウェブサイト “Compassion Doesn’t Fatigue!” より

ちなみに、共感が起れば必ず
思いやりも発生する、
ということではありません。

そのため、この「思いやり力」の
トレーニング法も開発されている模様。

思いやりの心の種はみんなにあっても
放っておいて勝手に育つかというと
そうでもない、ということです。

「痛み」に個人差がある理由

ミラーニューロンや共感の仕組みが
分かってくると、
なぜ痛みには個人差があるのか
ちょっと見えてくる気がします。

まず、わたしたちの「痛み」は
必ずしも自分自身の
直接体験だけではありません。

他人の「痛み」を観察し
ミラーニューロンで学習する
「痛み」もたくさんありそうです。

そして、学習は
「反復」によって強化されるもの。

「痛い」と感じる回数が増えると
それだけ、痛みを感じる神経回路が
強化される、と考えられます。

となると、生まれ育ってきた環境や
関わってきた人によって、
傷みに対する感受性、というか
「認知」具合が変わってくるのではないか。

痛い、辛いという自他の体験を
多くしてきた人ほど、
傷みに敏感になるかもしれないという
仮説が立てられないでしょうか。

エンカクで神経回路の再構築?

そう考えてくると、次に出てくるのは

「でも、共感が思いやりに発展したら?」

ドーパミンやオキシトシンといった
やる気や幸せに関係するホルモンが出て
状況は変わってくるのではないでしょうか。

わたしの兄弟子が行っているエンカクは
「共感が向かう【行き先】の調整」ではないか?
との思いが浮かびました。

先生は、会話を通して
患者さんの自然治癒力を引き出すようです。

わたしが実際に受けたわけではないので
あくまでも聞きかじりの情報をもとにした
印象なのですが、患者さんとじっくり
魂の本質、人生を振り返ることで

「自分自身の、深いところに対する共感」

が起こるのではないか。

気づいていなかったけど
よく考えてみたらそれ、辛いよね、とか
苦しかったよね、とか、そういう感じの
自覚が深まるのではないかな、と。

自分を客観視するとか
インナーチャイルドとか言うように、
自分自身を第三者的に捉えて
その「他人的な自分」に共感する。

そして、ただ「共感している」ところから
それに対して「思いやり」が持てるよう
導いてあげるのが、エンカク治療なのかも?

その結果ドーパミンやオキシトシンなど
幸せや前向き思考につながるホルモンが出て
「痛い、痛い」と繰り返していた神経回路に
変化を起こしてくれるのではないか。

と、ここまで飛躍するのは
神経科学や脳科学の専門家でない
わたしの勝手な想像ですが、
何かとても腑に落ちた気がしました。

とことん感じたら、自分にやさしく

友人は「からだの」痛みと
長年付き合ってきましたが、
探求のなかで、人には言いたくない
自分の過去の記憶に直面したそうです。

その自分を思い出し、
その時の感情を思い出した。

怖くて、不安で、途方に暮れていた自分。

そんな過去の自分に会えるとしたら
「大丈夫だよ!」といって
ハグしてあげたい、と言っていました。

それが、自分自身に対する
Compassion(思いやり)ではないかな、と
そんな風に思います。

こころの底からの「共感」をベースに、
大丈夫だから。愛してるから。
そう、伝えてあげたい
思いやりの心が、湧き上がってくる。

自分自身に対して「思いやり」が持てた時
人は、自分を信じる「自信」が持てて
からだとこころの痛みは
苦痛ではなく経験と価値に変わるのかな。

そんな風に、思いました。

参考:
兄弟子・山崎先生の Facebook はこちらです


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