おっさんの屁理屈に見習おう、少しだけ。たたき台がたたき台である理由

決断コーチの、井上由紀です。

さて、クイズです。
西暦2000年は、20世紀でしょうか、21世紀でしょうか?

ある食事の席で、この何気ない問いから
ものすごいゴリ押し講義を受けました。

あまりの強引さに「おいおい」と
びっくりするやらオカシイやらでしたが、
学びと、その後思いついたこともありましたので
それを書いてみたいと思います。

2000年は21世紀?

ふとしたことから「世紀」の話になりました。

1世紀は100年ごと、というのは覚えていましたが
2000年とか、最後二桁がゼロで終わる
キリの良い年って、1世紀の最後だったっけ?

うろ覚えだったわたしは、
西暦2000年を例に
そこにいた息子と旦那に
この問いを投げかけたのです。

息子「21世紀」

旦那「21世紀」

わたし「ええ?20世紀じゃなかったっけ?」

ふたりは21世紀だと言って聞きません。

わたし「でも、何でも始まりは1でしょ?西暦0年は無いのでは?」

すると旦那が、やれやれといった顔で
「キリストが生まれる前がBC、生まれた後が今の西暦だ」

いや、そんなこと聞いてないし。

わたしは再度、論点を明確にしようと
「いや、でも1世紀は100年単位だから
西暦1年から始まって
100年までが一区切りなんじゃないの?」

だから、20世紀は1901年~2000年でしょ?

それでも男ふたりは聞く耳もたず
「2000年は21世紀だ」と言い張ります。

そこでわたしは、いつものごとく
「じゃ、Google に聞いてみよう!」

と、早速検索しました。
すると案の定、わたしが正しかった。

西暦2000年は20世紀
わたしはGoogle の検索結果を
誇らしげに読み上げました。

しかし。

きっと、わたしのドヤ顔が
よろしくなかったのでしょう。

ここから、うちの名物オヤジらしい
無理やりな議論(不毛ともいう)の始まりです。

「オレは Google を信じない」

まあ、信じる信じないはあなたの勝手です。

わたし「でも、2000年は20世紀だよ」

旦那「今時、世紀なんてもう使わないんだよ」

は?

何を言ってるんですか?
「Century(世紀)」はまだまだ、現役英単語でしょ?

旦那「昔はセンチュリーなんて言ってたけど
今はミレニアム(1000年の単位)だ」

わたし「センチュリーはまだまだ使われてるよ」

旦那「いや、使われていない!」

わたし「あなたがそう主張してもね、世界はそう思わないよ」

旦那「今は時代の流れが速いから、ミレニアムで考えるんだよ」

出た!

うちの旦那は、わたしの質問に対し
論点をすり替えるのが得意です。

まあ、ディベート(討論会)しているわけではないので
「単なる会話」として
話が膨らむのはいいと思います。

しかし、こちらの話は全然聞かず
まして自分の答えが間違っていると証明されると
俄然「そんなことはどうでもいい」とばかり
論点をずらしてマウントを取ろうとしてきます。

さすがに付き合いが長いので

「また、わたしの方が正しかったから
精神的優位性が脅かされて
反動で食って掛かってるんだな~」

と眺められるようになりましたが、
それでも、正直ウザいんです。
うるせえ、オヤジ。
大人しく敗北は敗北と認めろ。

と言いたいのをこらえ
まあいいや、と会話を終えました。

そこから、何を学びましたか?

と、コーチング風に自問してみました。

まず、改めて思ったこと。

人は「自分が間違っている」と感じる、
とくに誰かにそれを指摘されると
精神的に不安定になる。

その結果、自信を無くして落ち込んだり
逆に自分を守ろうと怒りを感じたり
もっともらしい(屁)理屈で自己正当化する
なんてことが起りがち。

これは、わたし自身にも当てはまります。
というか間違ってると指摘されて
やったー!と嬉しくなる人は少ないと思います。

もちろん、そうやって教えてもらってこそ
自分を謙虚に振り返ることができるもの。

しかし、有難いと感じることと
言われて傷ついたり落ち込んだり
感情がネガティブに反応することとは別物です。

相手が自分を傷つけようとして
言ったりやったりしたのではなくても
傷つくものは傷つく。
それはそれで、事実として認めればいいと思います。

うちの旦那など、典型例で
いかつい見かけとは裏腹にガラスのハート。

なので、奥さんであるわたしが
うっかり彼よりも正しかったりすると、

「ボクは君に安心感を与えられる強くてデキる男なんだろうか~?」

と不安になり、その反動で
「オレ様、デキる」
アピールをなりふり構わずしてくる。

これが、わたしなりの解釈であり
「可愛げ」として了承することにしています。
そうしていなかったら、とっくに
縁を切っているんじゃないかと思います。

そんな人間考察が、ひとつ。

もうひとつは、自分と全然違うからこそ
「すごいな~」と思うこと。
そこから学べることです。

あれだけの屁理屈を言えるのは
それだけクリエイティブだということ。

そして、恥ずかしげもなく
それをゴリ押しするパワー。

あれは、毎回本当にすごいと思います。
皮肉じゃなくて。

そして、彼が言わんとしていたことは
わたしの論点とはズレていたにしろ、
分からない訳ではないし
言っていること自体には価値があります。

たとえば「キリスト前はBCで」のくだり。

その話が出た時には

「そんな話、してないし」

と思いましたが、後で調べてみたところ

西暦には通常は0年は存在しないが、ISO 8601天文学的紀年法においては、「西暦0年」および「負の西暦年」を設定している

Wikipedia より

とのこと。

つまり、彼が言いたかったのは
「天文学的紀年法」などの知識に基づいた
「西暦0年」という概念のことなのでしょう。

ただ、そもそもの質問は

「2000年は20世紀か、21世紀か?」

なのに、わたしが
「でも西暦0年とは言わない」とやったことで
彼の論点は

「西暦0年は存在しないか?いや、するのである」

これに移行してしまった、ということなのでしょう。

もちろん、言い換えれば
人の話を全然聞いていない、そして
全部自分基準でしか話せないということで、
相手をするのは疲れます。

ただ、だからといって「ダメ」ではなく
こういう、言い方悪いけど超自己中が
いわゆる天才型と呼ばれることも
あるのだろうな、と思います。

才能とは、偏り。
デコボコがあるから面白いし、
だからこそ世界は上手く回るんですね。

わたしは、このパートナーのおかげで

「一見ちぐはぐに見える言動も、
丁寧に見ていくとそれぞれの理由があり
そこから学べることがたくさんある」

ということを、学ばされてきています。

「とりあえず出す」勇気を持とう

このブログ記事は、そもそも
「2000年って、20世紀だったっけ?」
というわたしの素朴な疑問から始まった
めちゃくちゃな議論がネタになりました。

言い換えれば、もしわたしがあの席で

「2000年って、20世紀?21世紀?」

と質問しなかったら、
こんな考察も、ブログの記事も
生まれていなかったということです。

わたしは、カナダに来てから
とにかく自分の理解している状況が
本当に正しいのかどうか、不安が多かったので

「とにかく出して、打たれて、確認する」

今思えば、それは

Plan(計画する、考える)
Do(行動する、とりあえず何かやってみる)
Check(結果を精査する、結果から学ぶ)
Act(改善する、次はこうしようと思う)

このPDCAをガシガシ回してきました。

なので、何か思いついたら割とすぐに
「たたき台」として人に見てもらいます。

ちなみに日本語ってすごいな~と思うんですが
「たたき台」。

つまり、たたき台とは
「たたかれること前提」なんですよね。

で、たたき台を出す抵抗が少ないといっても
「たたかれることが平気」なわけではないんです。
わたしも「たたかれる」つまり
批判的なことを言われるのは、正直かなり辛いです。

でも、それを受けて立たないと先に進めない。
これはもうトレードオフ、仕方のないことなので
「たたいていただこう」と思いながら
ともかくたたき台を出しています。

よく「アンチがいてこそ」などと言われますが、
あれも似たような心境だな、と思います。

やっぱり、ほとんどの人は
何かを世間に出した結果批判をされることは
痛いし辛いはずです。

だけど、それはそれとして
やっぱり出さないと、先には進めない。
そういうことなんじゃないかな、と。

ということは?

もう一度整理すると
西暦2000年は21世紀ではなく、20世紀です。

そして「センチュリー」という単位は
今でも絶賛、世界中で使われています。

追加情報として
通常は「西暦0年」とは言いませんが
ISO8601や天文学的紀年法においては
存在するのだそうです。

また、人間観察で言えば
人は結局「自分のものさし」で
世界と渡り合っているね、という話でもありました。

とはいえ、自分物差しのぶつかり合いの結果
人から否定的なことを言われるのは
なかなかキツイことでもあります。

それでも外に出す(アウトプット)ことをしなければ
なかなか先に進めない。

だからこそ、まずはたたき台という意識で
「たたかれること前提」で
自分を出してみよう、と改めて認識しました。

世の中にはもう、ビックリするくらいのゴリ押しで
(一見)平気な人もいます。
そんな人をちょっとだけ見習って、自分も
もう少し厚かましくなろう。

そう思った今朝でした。

追伸

後日、旦那はめでたく
「悪魔くん」の称号を与えられました。

詳細はこちらから:
悪魔のパートナーと宿命デスマッチ


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