井上さん、何やさん?シリーズ1)極彩色で生まれてきた

決断コーチの、井上由紀です。

2022年12月26日、
わたしにとって記念すべき出来事が
起こりました。

Zoomセッション中に
クライアントさんが気分を害して
出て行っちゃった…

その直後「もう話はできない」通達。

プロコーチとして
恥ずべき瞬間だったとも言えますが、
この出来事がきっかけとなり
3日後には、これを書くことになりました。

おめでとう、わたし。
2022年が終わる前、
52歳の誕生日直前にして
このステージに、やっと突入か。

そして、背中を押してくださった
友人Kさん、Nさんと、最愛のパートナーに
感謝しかありません。
本当に、ありがとう~~~。

ということで、今日からしばらく

「井上さん、何やさん?」

シリーズを書くことにしました。

内容は…

という感じになる予定です。
(予定は未定ですが)
結構、長くなる予感。

タイトル通り、シリーズ全部を
読み終わるころには

「井上さんって、つまり〇〇やさんね」

ということが分かるはず。

では、始めます。

聖夜の深呼吸がもたらした意外な展開

クリスマスの夜。
わたしは、前日に届いていた
ミッショニングのマスターの
解説動画を見ました。

そこで、エネルギーを使いこなす奥義として
「深呼吸」の話がありました。

深呼吸をすることで波動が安定し
本当に大切なことが感じ取れ、
パフォーマンスが上がる。

いつもながら学びの多い動画を
頭だけでなく全身で感じるようにして
見終わってから、
翌日早朝のセッションに備えて就寝。

安定し、エネルギーが満ちた感覚で
次の日を迎えました。

その朝は、Aさんとの最後のセッション。
最後である、ということで

「何か、Aさんのためになる時間を」

という思いが、無意識レベルで
いつも以上に強かったかもしれません。

あるいは、前日見た「深呼吸」の影響で
ますます「感覚・直感勝負」な意識が
増長していたのかもしれません。

ともかく、今思えばその日は
セッションの始まりから何か
ペース感覚が違いました。

Aさんの話を聞いているうちに、
だんだんとイライラしてきたのです。

「なぜ、イラつく、わたし?」

と考えた時、ずいぶん前に読んだ本で
あるマスターコーチが言っていたことを
ふと思い出しました。

彼女は、クライアントの話を聞いて
もしイライラすることがあったら、
それを伝えてあげなさい、というのです。

なぜならば、クライアントの話を聞いて
他にもイライラする人がいる、
同じような状況が他にもある可能性が高いから。

そのように思う人がいる、ということを
しっかりと伝えてあげることで、
クライアントが何か思い当たることが
出て来るかもしれないから。

例えば、会議でチームのメンバーが
実はイライラしているのかもしれない。
そうだとしたら、何が原因か。
その状況を放っておくと、どうなるのか。

そういったことに気づくかもしれない。
そこから問題改善のヒントが生まれるかもしれない。
だから、リスクを取って
クライアントのために伝えてあげることも有効だ、と。

続けて、なぜ自分がイライラするのか
そこもすぐに答えが出ました。

Aさんの話が、結局のところ
同じことの繰り返しだと直観したからです。

もちろん、表面的には違う話ですが
本質的に、それまでと同じ。
簡単に意訳してしまえば

「自分は変化する必要なし、でも欲しい結果が手に入る」

という、希望的観測に聞こえました。

そして、今のままの認識では
結局同じことの繰り返しだろうな、
と感じました。

さて、ここで本題は
果たしてAさんが本当にそうだったかどうか、
ということではなく

「なぜ、わたしはイラついたのか」

そして、イラついた自分を
なぜ、わたしはそこで表面化させる決断をし
それに対して拒絶反応を受けた後(結果)、
わたしは何を学んだのか。

そこから、あれよあれよと展開が起こり
話はわたしの子供時代に遡ります。

ベテラン教師が選ぶ神童トップ2

思えば、小学校や中学校時代
とくに努力をしているわけでもないのに
「何でもできちゃう子」というのが
いなかったでしょうか。

わたしは、そういう子供でした。
「あの子だから」「やっぱりゆきちゃんは」
周囲はそういう感じで、
わたしのことを評価していました。

一方で、両親はわたしのことを
ごく普通の子、として扱ってくれました。
その上で

「うぬぼれるな、上には上がいる」
「真面目に、謙虚に」

と、繰り返し教えられました。

今思えば、親は本気でわたしが
普通の子と思っていたのではなく、
むしろ普通ではないと思っていたから

「自分は特別、と傲慢にならないように」

何度も言い聞かせてくれたのだと思います。

ともかく、そういう子供時代でしたので
親は「たいしたことないよ」っていうし
周りは「たいしたことあるよ」って扱いだし
当人としては、とても疲れたのです。

何に疲れたかというと
「で、わたしって結局どうなの?」
ということを考えることに、です。

そして、その悩みを解決する方法を
編み出しました。それが

「ま、どうでもいいわ」

自分が「他から見て」どうか、ということを
一切「どうでもいい」と考えたら
問題が解決することに気が付きました。

周りがどうであれ、自分が感じる
「これ」は事実である。
だから、そこを、ベースにすればいい。

そうすれば
「親の言うことが正しいの?」
「ほかの人が言うことが正しいの?」
という疑問は全部、不問になります。

そうやって、ひたすら
「自分基準」に集中する子の出来あがり。

しかし、それでも問題がありました。
それは、自分がどう思おうが
「勝手に比べ、勝手に張り合う」人。
嫉妬、妬みの類です。

これは他人が勝手にそうするだけに、
どうにもなりませんでした。

「(なんでもできちゃう)あなたには
(できない)わたし『たち』の気持ちなんて
分からないでしょ」なんてことを
弱者代表みたいな顔で言われたりしました。

は?お互い様なんだけど?
あんたには、何でもできちゃうと言われる
わたしの気持ちは分からないでしょうが。
と心の中で毒づいていました。

でも、それを言っちゃったら
本当にタダの高慢チキになってしまう
と思っていたので(親の教育の賜物)、
無言で自分の内にしまい込む。

わたしは、そんな孤独と
怒りに満ちた子供だったと思います。

自然の成り行きで非社交性を発揮、
「放っといてくれる?」的な
周りから畏れられる怖い存在に。

小学校6年の時は
当時新卒で担任になった男の先生が
とにかく気に食わず、
冷たい態度を取っていました。

それから20年ほど経った
ある年のことです。
小学校同窓会のお知らせが来ました。

そのころには流石に人生に揉まれて
すっかり丸くなっていたわたしは
もうトゲトゲなんかしてなくて、ニコニコ。

なつかしいな~と嬉しく思いながら出席、
同級生と久しぶりに顔を合わせました。

すると、その担任だった先生も
そこにいらっしゃったのです。

もうみんないい大人ですから
お酒も入り宴もたけなわ、
子供時代の話にいろいろと花が咲きました。

同級生の中には、わたしともうひとり
Bくんという元旦生まれの子がいたのですが
ほろ酔いの先生は、Bくんに向かって
こんなことを言い出したのです。

「お前とマツナガ(わたしの旧姓)は
誕生日は同じだけどなぁ、全然違ってたぞ。

お前はポーッとしてて、俺も気楽だったわ。

(一同笑)

でも、マツナガは怖かった。
小学生だったけどな、
前に立つといつも緊張したぞ~。

こいつのIQ、めちゃくちゃ高いんだよ。
今まで生徒はいっぱい教えて来たけど、
こいつと同じくらいだったの
あと一人くらいかなぁ」

え~~~!まさかのカミングアウト。
とりあえず笑っておきましたが
内心、かなり動揺しました。

すごく個人的な話なのかもしれないんですが
簡単に言うと、わたしはスゴイ子じゃなくて
普通の子になりたかったんだと思います。

なのに、頼んでもないのに
「こいつスゴイんだぞ~」話をされて
なんだよ、わたし「普通の子」じゃないのかよ!
と心がザワついてしまったのでした。

「普通に生きる」ことは超難しいという理解

さて、時間は現代に戻ります。
12月27日、クライアント喪失事件の翌日でした。

友人Kと、うちの旦那と話す中で
この展開の「意味」が
ポコポコッと分かり始めました。

まず最初に分かったこと。
これは、わたしが陥ってきたパターンである。

そして、その原因にも
薄々は気づいていたはずである。

今回、3回目の検証が終わったので
さすがにもう、諦め時である。

そのパターンとは

「本気で自分と向き合うつもりがない人を
下手な情で相手にするがために
結局、時間の割にお互い生産性がない」

正確には、わたしにとっては
経験値を高めさせていただいたという
価値がないわけでは無い、というか
ありがたい勉強をさせていただきました。

ただ、そもそも自分に向き合いたくない
その方たちにとっては、
わたしみたいな中途半端に優しいのがいると

「このままのわたしでいいんだ」

と、現状を都合よく解釈してしまう。
その分、対処が遅れてしまい
さらにリスクを拡大してしまう。

過保護の典型的な弊害で、
相手の成長の機会を
奪ってしまっているのです。

「何それ、じゃあんたのエゴか?」

と自分で突っ込み心が痛いですが、
Nさんの助言から始めた自問により
この状況が映し出す「わたし自身」は

「誰も理解してくれなかった子供時代」

なのかな、と思い至りました。

もしも、あの時に誰かがたった一人でも
「分かるよ、その気持ち」と
本当に理解してくれていたら。

わたしは、苦しんでいる方々に
当時の自分を投影して、
そんな「自分」を救うことを
夢見てしまっていたのかもしれません。

だけど、救世主はいないんだよね。
自分以外には。

頭では、とっくの昔から分かっていることを
また、実践し損ねてしまっていた…
そこが、問題であり
気づいたからには改善すべき点だと思いました。

そこに気づいて間もなく、
どういう経緯かはもう忘れましたが
「男性性、女性性」で検索をし
ある興味深いブログを読みふけりました。

そこで出会ったのは

「普通に生きるというのは、超難関レベルで難しい」

という概念でした。

「普通に生きる」ということは、言い換えれば
「多くの人たちが望むように生きる」
つまりその場の最大公約数となる生き方を
状況・時代に応じて確実にこなすということ。

これには観察力やセンス、柔軟な対応力など
相当高いスキルが求められる。
つまり、とても難しいことであり
日本人はそのスキルがとても高いというのです。

なるほど。

ここで、自分は思っていたほど
全然特別じゃないぞ、と少し嬉しくなりました。

つまり、形は違えど本質的には
「自分って何なのよ」
「理解されてないわ」
といったことは、みんな思っているのではないか。

こうして、導かれるように集まった情報から
わたしが「特別扱い」されたことは
本質的には実に「普通」であるという
パラドックスに気が付いたのでした。

やっぱり、わたしなんか全然普通じゃん!
普通って、安心します。
こんなところがとても凡人で人間らしくて
自分で可愛げを感じてしまいます。

ということで、なんだかんだと
個性豊かに極彩色で生まれてきたのも
自分がこの人生の初期設定として
選んできたもの、と仮説を立てます。

さて、ではそれがこの後
どんな風に役立って行くのか。

次回は
「両親の教えに込められた成功哲学」
辺りを探ってみたいと思います。


体験セッションをご提供しています

井上由紀と話してみたい、
自分のことを深く見つめたい。

そんな方に、体験セッションをご提供しています。

お申込みはこちらから。