井上さん、何やさん?シリーズ2)家系に伝わる成功哲学

決断コーチの、井上由紀です。

2022年12月26日に始まった
勝手にわたしアセンション。

そういえば昔
「勝手にシンなんとか」っていう歌が
ありましたよね。

桑田佳祐って、やっぱり
言葉のセンスがあるんだなと
今さらですが、感じます。

それはさておき、シリーズ2回目。

全体像はこんな感じになる予定です。

前回は極彩色な初期設定で
フル装備して生まれてくることを選んだ
「特別な子」の話
でしたが、
今日は生まれてきた「家系」に注目。

生まれる家(親)、場所、時代も
初期設定の一部と考えられますが、
わたしが選んだ家系から見えてくること
そして、秘伝の成功哲学とは?

この辺りに迫ってみたいと思います。

遺伝という現象

ミッショニングでは
「家系に流れる精神性を大切に」
と教えられます。

最初これを聞いた時、
正直ピンと来ませんでした。
精神性ってナニ?みたいな。

今もハッキリくっきり
分かっているわけではありませんが、

「絶対、無視するなよ」
「鑑みるとヒントがありそうだぞ」

ということは、半自動的に
考えるようにはなりました。

ところで「がん家系」「糖尿病家系」
などと言ったりもしますが、
生まれた時から宿命づけられている
DNA的な遺伝は少ないと言われています。

むしろ、その家系に受け継がれる
・食事の傾向
・考え方の傾向
・行動の傾向

つまり習慣、ライフスタイルが
世代間で引き継がれることによって
その「結果」である健康が
似たような傾向を持つのではないか。

そんな風に考えられているのです。

わたしは家族に糖尿病患者を抱えており、
自分もガンデビューをしました。

常に病気がちだった母の影響もあり
健康にこだわる食生活は
10代のころからアレコレ
なんだかんだと試してきました。

パートナーの糖尿病に二人で取り組み
教科書的な「正解」を実践すればするほど
全く意味不明の結果に遭遇する、
という迷宮にもはまり込みました。

それらを経た今、からだの不調は
習慣、とくに食べ物以上に
「思考習慣・モノの見方にカギあり」
説に行きついています。

ものの考え方のクセは
わたしたちが思っている以上に
健康に強烈な影響を与えている。

そういう、超現実的な理由でも
家系に流れる「精神性」つまり

・物事の考え方の傾向
・価値観、選択基準の傾向

これらをよく吟味することは
自分や家族の「これから」を考える上で
非常に価値がある、と思っています。

とは言え、自分が生まれ育った環境や
どっぷりつかっている状態というのは
あまりにそれが当たり前過ぎて
なかなか認識できないもの。

今回、Nさんが「過去、家族」への
着眼を示唆してくださったおかげで、
自分が受け継いでいる精神性に
改めて目を向けることになりました。

Nさん、ありがとう~~~!

家訓は「まじめに、謙虚に、頭を低く」

自分の家系、と考えてみた時に
パッと思い浮かんだのは

「父方」:行動・建設・経営・陽
「母方」:寡黙・忍耐・受容・陰

父は事業を立ち上げ、同族経営。
文字通り建設の分野を含み、
高度経済成長期というタイミングもあって

「動く・投資する・結果を出す」

情に厚く、礼を重んじる。
人と関わり、もてなす。
全体的に動的、陽的です。

母方は真逆な感じで
余計なことは言わない、しない。
感情は爆発させず、黙って相手を立て
舞台裏で黙々と生きる「陰」。

そんな二つの家系の接点として
今思うと象徴的だったと思うのが、嫁姑問題です。

母は、同居していた祖母に対する不満を
わたしの前でよく、愚痴っていました。

その内容を要約すると

・祖母が粗雑である
・祖母の主張が強い

みたいな感じだったのかな?
逆に言えば、

・母は繊細、洗練されている
・母の意見は尊重されない
・いつも自分が合わせている

ということが言いたかった、そして
そんなわたしをちょっとは認めろ
という憤りがあったのかもしれません。

そんな内部紛争をはらみつつ、
我が家は自営業一家でしたので
「外との関係」にいつも気を遣っていました。

何事も、信頼関係。
時間厳守はマストでしたし、
「いつもお世話になっております」は
子供のころから叩き込まれました。

そして「謙虚」が家訓。
「絶対、えらそうにするな」という
不文律が存在していました。

これは道徳的な意味よりも
自衛的な色合いが強かったのかもしれません。

前回の「普通の子になりたかった」
わたし自身の話とも通じるのですが、
出る杭は打たれる。
目立つことは「危険」でもあるのです。

事業で成功していれば
すでにそれだけで目立ってしまいます。
その上「えらそう」にしたら、もう自分から
「打ってくれ!」と宣伝するようなものです。

家庭内にこの家訓を落とし込めば、
母が子供には愚痴を言いつつも
祖母や父に面と向かって文句を言わなかったのは
自らの「安泰」を危険にさらす恐れがあったから。

自分のことを押し出して
「えらそうにする」のは、非常にハイリスク。
母としては、そう簡単に
できることではなかったのでしょう。

とどのつまり、この社会は「関係性」。
わたしたちは無意識のうちに
その絶妙なバランスを感じ取りながら、日々
選択・行動しているのではないかと思います。

こうして、自分のおぼろげな記憶だけでも
見えてくるものがあります。
それを端的に表現すると、つまり

「まじめに、謙虚に、頭を低く」

ひたすらコツコツ、不言実行。
実るほど首を垂れる稲穂かな。

それが、我が家に伝わる成功哲学であり
実感としてシックリきます。わたしにとって大切なこと。

と同時に、そのために縛られていることは、無いか。

呪いでもあり、ガイドでも梯子段でもある「制限」

さて。
ここで見えてくることがあります。

前回の「初期設定」にもつながりますが
わたしたちはみんな「個性」を持っている。

個性、ユニークであるということは
逆に言えば「持っていない部分もある」。
抱き合わせで「制限・限界」も付いてくるわけです。

制限というとネガティブな印象かもしれませんが
物事には必ず、良い面も存在します。

たとえば「安心・安定」。

100メートル走は、100メートル先に
「ここまで」というラインがあるので
思い切って全力で走り出せます。

これが「ウソです、自由にどこまでも!」

と、いきなりラインが外されたら
全力疾走し続けるわけにはいかないので
途中でペースを落としたり、
一旦止まって休憩したりするでしょう。

ここ走ってね、という左右のラインも
「制限なしです、好きなようにしていいよ」
と言われたら、さらに困ります。

真っ直ぐ走らなくていいんだ。
右でも左でも、後ろでも
もしかしたら穴を掘って下にでも
好きなようにしていいんだよ。

このように、無制限の自由とは
実はとても扱いづらく
難しい課題となってくるでしょう。

ですので、制限があるというのは
実はわたしたちの生き方を
楽に、安心できるものにしてくれたりする。

そして、集中を助けてくれもします。

スティーブ・ジョブズが
同じシャツとパンツを何組も持っていて
いつも同じ格好をしていたとか言いますね。

この服と決めておく、
その服しかない、という制限下なら
いちいち「何を着ようか」と
迷わなくて済むわけですね。

性別を含む身体的特徴や
興味関心など知的特徴、
家系など生まれ育つ環境による制限にも
同じ効果が期待できます。

あらかじめ選択肢を限定して、
自分のその後の人生の方向性や
エネルギーの集中先を
絞りやすくしてくれるのです。

制限した部分は、最初から
選択肢にありませんから
持っているカードの中で
何をどうしようかという話になります。

と言いつつ、

「制限を、越える」

という選択肢もある、と
わたしは思います。

わたしたちは、いつも多くの
制限に囲まれています。

時間、お金、健康状態。
配偶者、子供、親ほか、家庭の事情。
仕事の事情。
地理的な事情。文化的な事情。

それらの多くが、実は
情報とアイデア、技術、努力で
乗り越えることが可能です。

そして

「そこに、制限がある」

という状態があって、初めて
越える発想と行動が生まれ
実際に越えるという結果が生まれます。

つまり、制限・限界という事実は
それを越えてその先に行くための
梯子段のようなもの。

そんなことも考えつつ、あらためて

「まじめに、謙虚に、頭を低く」

を眺めてみると、何が出て来るか。

まじめに、謙虚に、どこへ行きたいの?

2022年12月26日までのわたしは

「まじめに、謙虚に、頭を低く」生きること

これを、ゴールに設定していたのかもしれません。

でも、その先は?
「まじめに、謙虚に、頭を低く」生きるのは何のため?

それやった先に、何を手にしたいの?
どうなりたいの?

それは…

と、いいところで今日はおしまい。
この答えを語る前に、もう少し
過去のキーポイントを拾い上げていきます。

次回はわたしの「仙人系時代」について、語ってみます。


体験セッションをご提供しています

井上由紀と話してみたい、
自分のことを深く見つめたい。

そんな方に、体験セッションをご提供しています。

お申込みはこちらから。