古今東西「一線を越える」儀式が無くならない理由

Finding Nemo(ファインディング・ニモ)が出た時は
「なんと、すごいCGだ!」と、びっくりしたもの。

その公開が2003年、うちの長女が生まれた年。
ディズニー映画が大好きな彼女も
この秋から大学生となりました。
あらためて、時間の流れを感じます。

さて、そのニモですが
生まれ育った海からダイバーに捕まえられて
見ず知らずの世界に連れてこられます。

そこには、右半身に傷を負った
白黒ストライプのリーダー、ギルを筆頭に
ハリセンボンのフロートやエビのジャックほか
総勢8名からなる「タンク・ギャング」が。

父であるマーリンに大切に育てられた
ちびで青二才のニモでしたが、
たった一人で世間に放り出されたことで
少しずつ自立心が育って行きます。

その様子を見たギャングたちは
ある晩、ニモのために
イニシエーション(受け入れの儀式)を
行います。

寝ていたところを起こされ
呼び出されたニモの前に現れたのは、
真っ赤に燃える海底火山。

「シャークベイト!ウハハ!」

メンバーたちが、怪しい光の中
煽るように声を荒げます。

恐ろしさで尻込みしていたニモですが
ついに、ありったけの勇気を出して
吹き出す溶岩の間をくぐり抜けたのでした。

なぜ「イニシエーション」は存在するか

アフリカやアジアの諸国では、
特定の年齢に達した時点で
ライオンやサメの狩りに行くことで
成人の仲間入りを果たします。

キリスト教では、洗礼を受けることで
正式な教徒となります。

どのイニシエーションにも共通するのは
それを通過することにより
「別世界」に入る、というコンセプト。

人は本能的に「未知のもの」を恐れるので
別世界に足を踏み入れるのには
相当の勇気を必要とします。

しかし、狩りによって命をつないでいた時代
あるいは今もそうである文化では、
ライオンやサメを恐れていては
種族全員が飢え死にしてしまうことに。

そこで、生きるために
特定の年齢に達した者たちが
逃れられない責任を背負うことを
周囲に示す。

同時に、その行為を通して
本人の覚悟が決まる。

逆に言えば、ほかの動物たちと違い
人間とは「覚悟」がなければ
生きられない、と言えるのでしょう。

だからこそ、世界中で昔から
「別世界」にシフトする儀式が行われ、
それは現代においてもさまざまな形で
存在しているのではないでしょうか。

よく言われることだけど、覚悟。

髪を切ることかもしれないし
モノを捨てる、かもしれないし
結婚とか起業かもしれない。

儀式のやり方はいろいろだけど、
それで「何かを変える」覚悟を決める。

「覚悟」だなんて、仰々しい言葉を
使わざるを得ないような瞬間を経て、
わたしたちは、生きる姿勢を変える。

昔々、わたしたちの祖先は
食糧を手に入れたり子供を産み育て
種族の命をつなぐために
命がけだった。

今、その危機感は果てしなく薄れたけれど
「本気で生きる」ためには
現代人もまた、覚悟を必要とする。

なーんて、
ストイックな感じになっちゃったけど
本気で生きるのって、結局
楽しいから、向かってしまうんじゃないかな。

命あるもの、いつかは終わりが来るから
それまでに、行けるとこまで行きたい。
そんな思いが、アチアチの火山の間を

「エイヤー!」

と潜り抜ける原動力に
なってるんじゃないかと思います。