言葉のチカラ

ふと読みだした小説が止められなくて、
また夜更かしをしてしまいました…

村上春樹の「スプートニクの恋人」。
ずーっと昔に買った単行本を
前回帰国した際に持ってきたもの。

たまたま手に取って読んだところ、
なんと!
内容を全く覚えていなかった!!!

そんな、初めて読んだかのように新鮮な
村上春樹の綴る言葉が、今のわたしに
深く、深く、染み入って来ました。

若い時、あんなに本を読んでいたけれど
実は「な~~~~んにも」
分かっていなかったのかもしれない。

そして、それでもよかったんだろう。

そんなことを、改めて思いました。

「分かっていること」と「分かっていないこと」

わたしたちは、日ごろ生きる上で
多くのことを「分かっている」つもりです。

だけど、何かを「本当に」分かっている?
と考えだすと…
ウサギの穴にはまり込んでしまいませんか?
わたしは、よくはまり込みます。

村上春樹の小説には、つまり
それが書かれているんじゃないの?

今読んでみて、ハッと気がつきました。
いや、それは「ノルウェーの森」を
「羊をめぐる冒険」を読んだ時から
本当はちゃんと分かっていたのかもしれない。

思考でではなく、感覚として。
だから、あんなにも村上春樹にハマり
そして、こんなにも
内容を覚えていないのではないか(爆笑)。

わたしたちは、常に
「分かっているつもりだけど分かっていないこと」
に気を付けなければいけない。

同時に「分かっていないかもしれない」という
不確かな気持ちに飲み込まれ
臆病になってしまってもいけない。

分かっていないかもしれない。
でも、「感じること」を大切にして
傷つくリスクも想定した上で
生きる。

わたしが、村上春樹や吉本ばななの小説に
内容をほとんど覚えていないくせに(!)
やっぱり心惹かれてしまう、というのは
つまりそういう生命力を感じるから、だと思います。

100%確実に、思考として、分かっていなくても
直感で、魂で、分かっている。

そんな状態で、本当に一歩を踏み出すのは
けっこう、いえ、かなり怖いことです。

だけど、その一歩を踏み出すことで
人生は変わるのだと思っています。

※ 恐ろしい一歩をついに踏み出してしまった記念すべき話

言葉というものの不思議

藏元ゆうりんとの対談で、
言葉の話が出てきました。

そこでふと思い出した、大学時代のエピソード。
当時の自分のことが、大変かわいいです(笑)。

言葉を発する時、綴る時。

あなたの気持ちは、感性は、どんな風でしょうか?

書き言葉や、録画・録音して編集できる言葉は
何度も読んだり聞き直すことで
注意深く、その奥深くを味わうことができますが
ぶっつけ本番の生会話は違います。

だからこそ、何気ない会話で発する言葉には
その人の毎日の積み重ねが現れる。

言葉を注意深く発する人は、
生きることに対しても注意深いのだと思います。

その「注意」が
「思考」としてブレーキになることもありますが
そのブレーキを外すのも、やっぱり
諦めずに注意深く見つめ続ける「継続」ではないか。

そんな風に思います。

それでも、不注意から
「よろしくない言葉」を発してしまうことは
多々ありますよね。

そんな時、こうすればいいんです!と
シンプルかつ強力な方法を
ゆうりんが教えてくれています。