努力は情熱に勝てない・庭仕事しながら改めて気づいた自分の本質

決断コーチの、井上由紀です。

5月19日、久しぶりに「剪定」に行ってきました。

剪定というのは、庭木などの
健康改善や外観補正のために
枝を切って形を整える作業です。

実は、カナダに来てから10年あまり
わたしは「プロの庭師」だったのです。

今の場所に引っ越した後は
プロとしては活動していませんが、
剪定は大好きな仕事のひとつ。

今回友人に頼まれ、二つ返事で引き受けて
日帰り旅行気分で行ってまいりました。

久しぶりに「人のお庭」で仕事をし
ビジネスや人生とのリンク、
エネルギーバランスのことなど
また、いろいろと感じました。

今日はその辺りについて書いてみたいと思います。

そもそも「ここ」にいる理由って、そうだよね

以前プロだった時は
もっと内陸で、もっと便利のいい
カルガリーというところにいました。

ここより遥かに都会でありながらも
庭のお仕事を始めたことにより、
土や岩、植物など、いわゆる自然に
毎日、大量に接するようになりました。

そこで汗を流しながら、わたしは
「庭仕事って、なんて楽しいんだ!」
と目覚めるわけです。

その延長線で畑仕事にハマり
引っ越しを機に
プロ庭師は引退しましたが、
自然との戯れは激化する一方。

今日までのいきさつを振り返ると、
わたしがこのカナダの田舎に来たのは
本当に単なる偶然だったのか?
そんな思いがよぎります。

ここ来たのは、確かに1ミリも
わたし自身の選択ではなく、
パートナーの意向に従っただけ。

それも、どっちかというと
「寝耳に水」的に
いきなり発生した移動でした。

しかし、来てみてフォーリン・ラブ。
ここに骨をうずめてもいい!
と思うほど、自分にはしっくりくる場所です。

ありがたいことです。

そして、わたしの意図はどうであれ
わたしをここに「連れてきた」人は
ここに来たかった。

そんな人を「わたしが」選んでいた。

ということは?

彼の価値観とわたしの価値観の
共通するところの延長線に
「この環境、ライフスタイル」
というのがあったのでしょうね。

そして、わたしという人間は
自然がないと(うまく)生きていけない。
そうなんだよね。
わたしにとって、自然と遊ぶ時間は、超重要。

だから、それができる環境に
行きついたのだろうな、と改めて感じています。

さて、あなたはどうでしょうか?

今の環境が、自分のこれまでの
無意識の願いや価値観、
思考のクセと結びついているとしたら…

何か、思うことはありますか?

「努力は情熱には勝てない」の意味

剪定の数日前、指導を受けている
あるビジネスのコンサルさんが言いました。

「努力は、情熱には勝てないんです」

アメリカで大学生1500人を対象に
「好きなこと、やりたいこと」について
ある調査をしたそうです。

A.お金を稼いでから、やりたいことをしたい
B.自分の好きなことをすれば、お金はついてくる

つまり、好きなことは
経済的安定を得た後にするか、
得る前からそっちを追求するか、
という二択です。

その結果はAが1245人、Bは255人。

その20年後に、この学生たちから
101人の億万長者が生まれたそうです。

その内訳ですが、101人中
Aの「先にお金を稼いでから…」
と答えていた人は何人だったと思いますか?

なんと、それはたったの「1人」
残り100人はBの情熱先行型だったそうです。

えええ~⁉

と思いますよね。
そこで、疑い深いわたしは
早速裏を取ろうと検索しました。

結果、日本語ではそれっぽい話
リサーチした人の名前込みで見つかりましたが
英語ではまったく痕跡が見つかりませんでした。
(誰か知ってたら教えてください)

※「聞いた話」はなるべく、自分で裏を取りましょう

という、信ぴょう性はちょっと
怪しい話ではあるにしろ、
ここから学ぶことはあると思います。

ごくごく現実的なところを考えてみると

「そもそも、自分が好きなことは努力しやすい」

これは、間違いないのではないでしょうか。

だからこそ、自分にとって何が
「やっぱり、好きなんだよな~」
ということか把握するのは、意味があるでしょう。

言い方を変えれば、
どうしてもやらずにはおれないことは
どうしてもやってしまいます
ので、
そこはもう、潔く認めようよ、という話。

その方が無駄な抵抗をしなくなり、
エネルギーが効率的に使われて
いろいろとよい結果につながると感じます。

それが、わたしの場合は
たとえば「自然と戯れること」だったりする。

なので、わたしの場合は
好きな時に裏に行って土を触われる環境に
意識的にか無意識的にかは分からないけど
辿り着いている。

煮詰まった時は、もう庭に行っちゃって
とりあえず畑を掘ったり草むしりしたり。
それが、わたしにとって
エネルギー循環を整える手段になっています。

あなたにとって
好きで好きでたまらないもの、
ついついついやってしまうこと、
やらずにはおられないことは?

それに触れたり、それをやることで
エネルギーがうまくまわり出す、
と感じるものやことは、何ですか?

庭師の庭は荒れている?

とはいえ、です。

実は、わたしはここに越してきてから
自分の庭で剪定をしたかというと
片手で数えられるくらいしかしていません。

剪定は大・大好きなんですが、
今は家庭菜園の土づくりと野菜作りに
限られた時間を投入しているため、
美観+個人的な楽しみは後回しとなっています。

コビー博士の言うところの
「重要だが、緊急ではない」
カテゴリーに入っていますね。

ところが、同じ仕事(剪定)も
人のためとなると、なぜか優先。
ちゃんと時間を作って、やっちゃう。

どうですか?

「庭師の庭は荒れている」
「料理人は家で料理しない」

あなたも、思い当たることはありませんか?

もしあるとしたら…

それは治そうと思って
簡単に治るものでしょうか?

「それがなかなかねぇ~」という
わたしのような人であれば、
いっそのこと、先ほどと同じく
「それが自分なんだ」と潔く諦めるのも手です。

自分のことだと「まあいいか」になるけど
人の世話だとやっちゃうのなら、
あえて人を巻き込むかたちにすれば
いろんな行動が進むのではないでしょうか。

ただ、この「人が絡むと動く」タイプは
責任感も強かったりするので、
人に言っちゃうとやらなくてはいけないのが
分かっているだけに腰が重くなる。

そういうことも、よくあります。

個人的には、そういう責任感の強い人こそ
思い切って人と絡んで、
腰が重かったことをやらざるを得なくする。
これをお勧めすることが多いです。

なぜならば、その人にとってそここそが
ギリギリキツイからこそ成長する!
というゾーンであるケースが多いから。

これは、わたしもよく
自問するポイントでもあります。

もっと言えば、この複雑な心境には
人からいい評価をされたい、という
「見栄」の要素も入っているかもしれません。

そういう「デキる人と見られたい」
イコール「デキないと思われたくない」
というのも、人として
実に健全な欲求ですよね。

なので、そういうわたしたち人間の
持って生まれた本質を素直に活かして
エネルギーを効率的に回していけたら
いいんじゃないかな、と思います。

やっぱり「これ」はおススメです

とにもかくにも。

今回、やっぱり一番感じたのは
五感を使う体験は
定期的にした方がいい!ということです。

できれば、それは
コンピュータや「普段の生活」と
切り離される感があるものの方が
より理想的かな、と。

わたしの場合は、それが庭仕事ですが
人によって、それは運動かもしれないし
アートや音楽かもしれません。

お料理の人もいるかもしれませんね。

で、もし可能であれば
それを続け、深めることをやるとよい。

なぜならば、深めるプロセスは
思考と感覚の行ったり来たり、だから。

その行ったり来たりのなかで
知識と経験が結びつき、
「無意識に結果を出せる」状態が
少しずつ、現実化してきます。

このプロセスの決定版というのか、
一番「メタ」で考えていくと
「人生」って話になるんじゃないかな?

剪定をする時、植物に向かい合うと
そこに「化学反応」が起こり
わたしの中の感覚や思考が刺激されます。

わたしは、庭師にとっての植物のように
「向き合う人の中に化学変化を起こす」
コーチになりたい。
そんな風に、改めて思いました。


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