決断コーチの、井上由紀です。
今日は「一字違いで大違い」
ならぬ、一字違いで大騒ぎな
パートナーとの逸話を。
相変わらずマウントをとってくる彼ですが
人のふり見てわがふり直せ。
大いに学ぶところがありました。
レベル3の英語力
わたしはカナダに住んで20年以上、
こちらでの生活は90%以上英語です。
が、わたしの語彙や表現力は
全然たいしたことがありません。
なぜならば、
コミュニケーションというのは
難しい言葉を知らなくても
「欲しい情報を探し出す力」と
「必要なことを伝える力」
すなわち
「観察力」と「質問力」そして
ポイントを整理する「構成力」があれば
簡単な言葉だけで、大丈夫だから。
あとは「ノリ」に逆らわず、
ダメだとなったらとっさに仕切りなおす
反射神経。
さらには、自分の能力を
高すぎず低すぎず、冷静に把握する
自己認識力も大切です。
己を知る、ということですね。
そういうことで、わたしの英語は
実際に生活しながら身に着けてきた
ブロークン、サバイバル英語。
決して「洗練された英語」ではなく、
ボキャブラリーも限られています。
いつもお世話になっている
Weblioさんの評価によると、おそらく
「レベル3」
つまり日本の高校2年生程度の単語が主。
そこに、ニュースや新聞でよく見たり
みんなが使っている一般的な言葉が
それなりにインプットされています。
とはいえ、必要な書類を読んだり
ネットや本の情報を理解する際に
分からない言葉が出てくるので、
その度に辞書を引く。
そうやって、これまでの20年余りを
なんとか生きてきました。
難しい言葉を使う人・うちの旦那
日本語でもそうですが
本を読む人は、難しい言葉や専門用語を
よく知っていたり、口にしませんか?
うちの旦那は読書家で、小説はもとより
医学とか物理とか宇宙のこととか
難しい本も、たくさん読んでいます。
なので、時々聞いたことのない単語が
出てきます。
わたしはその度に「何それ?」と聞いて
辞書を引くことに。
そういうことで、今回も
会話している最中に、出てきました。
「コンデンセンディング」
ナニそれ?と思ったわたしが
早速スペルを聞いたところ
Condensending
そうでなければ
Condenscending
しかし、両方調べてみたところ
該当する単語は見つからない。
その代わりに、最も高い可能性として
「condescending のスペルミス」
と出てきました。
これを発音すると
「コンデンセンディング」ではなく
「コンデッセンディング」という感じ。
(ちなみに、この単語は「レベル17」)
そこで、旦那に言いました。
「コンデンセンディングじゃなくて、コンデッセンディングのこと?」
つまり「n」は要らないんじゃないの?
だから、音的にも「ン」は入らないんじゃない?
ところが。
またボタンを押してしまったようです。
いきなり
「君の英語力のなさには、困ったもんだ」
と、ジャブが来ました。
辞書に逆らうネイティブのプライド
あ~まただ。
「それ、言うか~」と思いながらも、
その手は桑名の焼き蛤(はまぐり)。
実は、英語ネイティブであっても
スペルミス、発音ミスなどの
「覚え間違い」は、とても多いのです。
旦那もこれまでに幾度となく
それを証明してくれているので、
今回もまた、そうである可能性は大。
日本語だってそうですよね。
「食べれる」は、正確には「食べられる」
だけど「食べれる」が正しいと思っている人も
いらっしゃったりします。
とはいえ、もしかしたら彼ではなく
わたしが間違って
聞いてしまったのかもしれません。
ということで、もう一度確認。
スペルを繰り返してもらい
念のため、日本の辞書だけでなく
英語でGoogle 検索も。
しかし、どこの AI もそろって
「コンデッセンディングのこと?」
と返して来ました。
これを伝えると
「だから英語ができないやつは」
おい、おっさん。まだ言うか。
と思わず出かかった言葉を飲み込み
「じゃ、その言葉の意味は?」
と聞くと、
「恩着せがましい」
「優越感をもった親切」
まさに、コンデッセンディングがそうですがな。
しかし、今さら引けないのか何なのか
わたしが提出してきた「回答」を
かたくなに拒む彼。
普段から英語ができないから、と
「大目に見てやっている」こいつが
正しい英語を知っているはずがない、と
自己正当化したいのでしょうか。
最終的に、わたしから
「あんたがコンデッセンディングだよ」
とお伝えして、
今回の夫婦漫才は終了となりました。
(夫婦仲良好です・念のため)
「思い込み」のパワー
さて、いつものごとく
ここから何が学べるでしょうか。
この体験を、今後に活かすとしたら?
今回わたしが改めて思ったのは
思い込み、固定観念の威力です。
例えば、恥ずかしながら
わたしは長い間
「有無」を「ゆうむ」だと思っていました。
それが、大学の時だったかに
同級生に指摘されて
「ええ⁉」
となったわけです。
しかし、本当に「ゆうむ」ではなく
「うむ」だと納得するまでに、
結構時間が掛かった気がします。
それまで自分は長い間
これはこうだ、と信じていたわけなので
それを覆すということに
抵抗があったのでしょうね。
信じてきた時間が長ければ長いほど、
「本当?」
という疑いが大きくなるのかもしれません。
さらに言うとすれば、
そんな恥ずかしい間違いをしながら
実は、高校生までずっと、わたしは
国語が得意教科だったのです。
全国模試で一桁に入ったこともあるくらい
結構、得意でした。
おそらくは、そこに
「おごり」
があったのではないかと思います。
今回、旦那にも
「オレは英語ネイティブなんだから」
というおごりがあったのではないか。
思い込みの背景には、そうした
自分への過信が潜んでいることも
よくあるような気がします。
ハンデがあるからこそ優位なこと
英語が不自由だからこそ、
分からないことはいちいち調べて
きちんと事実確認をしてから
次に進むことが習慣になっている。
ハンデがあるからこそ、
人一倍注意深くなれる。
英語は一つの例ですが、
誰でもみんな、不得意なことや
不慣れなことがあります。
それは一見、ネガティブなようですが
そういう人こそ取り組みが丁寧だったり
いろんな盲点を発見することに
貢献してくれるのではないか。
わたしは、ありがたいことに
そういうことをちゃんと認めてくれて
仕事上でも評価してくれる人たちと
たくさん出会ってきました。
自分の強みを知って活かすとともに、
「弱み」のメリットも知ることで
さらに自分を活かすことができます。
っていうか、もうそうなると
いいことしか無い。
こういう視点が持てるようになると
自分への尊重、そして
人への尊重もできるようになる。
そんな風に思います。
まとめ
ということで、今回
反面教師から学んだことは
「人間、誰でも思い込みはある」
「自分の能力を過信すべからず」
という2点。
また、あらためて感じたのは
「ハンデによって、強みも育まれる」
そして、誰かに
「だから君は」
これ、言いたくなったら
「そういう自分は、どう?」
と自問したいと思います。
いや、家族っていいね~!
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