わたしが住むカナダには
「サマータイム」
なるものがあります。
ちなみに英語マメ知識ですが
「Summer Time」という言葉は
ヨーロッパでは通じるようですが、
アメリカやカナダの位置する北米では
「Daylight Saving Time」が一般的。
要するに毎年、春と秋に
時間が1時間ズレるんですが
これは、どうなんだろう…
堂々と朝寝坊できる11月の第1日曜日
ちなみに、この記事を書いている今は
9月22日の朝です。
朝6時過ぎに目は覚めましたが、外はまだ暗く
ぬくぬくとしたベッドを出たのは、結局
空が明るくなりかけた7時前でした。
わたしが住むノバスコシアは
日本の北海道くらいの緯度らしいんですが、
緯度が高いと日が短く(長く)なるのも早い。
地平線が真っ赤に染まりながら夜が明けてゆくのが
寝室の窓から見えるのですが、
わたしはその真っ赤な空を見て
「おお~、今日も頑張るぞ~!」
と、エネルギーを得て起きるのが好きです。
ただし、日の出時間は刻々と変わる。
夏なら6時前から「うぉ~」となり
その勢いで畑に足を運んだりしますが、
今日くらいになると、6時はまだ真っ暗。
オマケに朝晩冷え込んでくるので
うまいこと6時ごろ目が覚めたとしても
「うーん、もうちょっと寝ちゃおう」
ということになりがちです…
そんなところで、Daylight Saving Time。
サマータイムは毎年、3月の第2日曜に始まり
11月の第1日曜に終わります。
寒くなる秋口に、1日の始まりを1時間遅くする。
「うーん、もうちょっと寝ちゃおう」と
朝グズグズしたくなるわたしのような人が
1時間、堂々とグズグズできるシステムです。
「1日の幸せ」に支払う代償は?
が、どうやらカナダの中でも
サマータイム廃止の声は上がっている模様。
確かにね、サマータイムって
切り替え日前に寝て、次の日起きたら
1時間ズレてるよ、というものなので
いいやら悪いやら、というのが正直な感想です。
体内時計は一晩で
急に切り替わったりしないので、
特に1時間早められる3月は
「明日から早起きだ」と
気を引き締めないといけません。
反対に、1時間遅くなる11月は
「あ~、明日は1時間余分に寝られる」
みたいに、妙に気が緩む。
3月は1時間、睡眠時間を「損をして」
11月は「得をする」と感じるわけですが、
よくよく考えたら、トータルで見れば
差し引きゼロ。別に得も損もしていない。
なのに、毎回やっぱり
「あ~、1時間損する」
「あ~、1時間得する」
一喜一憂しています。
これって、人生のスパイスっていう意味では
悪くないのかもしれない。
で、切り替え後は意外とすぐ
その時間帯に慣れてしまうので、
「環境の威力って絶大だな…」
という気付きの実感にもなります。
だけど、それと引き換えに市民総出で
年に2回、社会全体を調整するだけの
メリットってあるんだろうか。
経済的・精神的メリットほか「いいこと」は
労力とコストを上回るほど、あるんでしょうか。
たぶん「無い」という判断から
廃止という意見が出ているのでしょうね。
「なんとなく」な習慣の全体像を考える
もともとは、日のある時間を有効活用、
一日を早く始めてエネルギーを節約しよう
ということだったようですが、
カナダに限って言えば
「夏って朝は5時ごろから
夜は10時くらいまで十分明るいんで、別に
1時間ばかり変える必要ないんじゃない?」
という気がします。
冬は冬で、朝1時間遅くするおかげで
夕方5時ごろにはもう暗くなってるし。
差し引き、変わらないのでは…?
なんてハテナなことが、世界中では
ものすごい規模で起こっていたりしますね。
習慣とか慣習って、ちょっと考えてみたら
意外とそういうことが多いです。
個人レベルでも、よくよく考えたら
「親がそうしていたから」
「周りがそうしているから」
「そういうものだから」
などという理由で
なんとなく続けていることがあります。
時には、そういったことを
「本当に、これやる意味あるのかな」
「メリットとデメリットは何だろう?」
「そもそも、何でこうなってるの?」
と考えてみると、何か
人生レベルで有益な気づきがあるかもしれません。
世界の40%で長年以上続いているサマータイムを
変えるとなると大変ですが、
一個人の習慣なら、自分が決めるだけで
変えていくことができます。
もしも自分に、無意味に時間やエネルギーを
消耗している「なんとなく習慣」があるなら、
見直す価値は大有りだと、わたしは考えています。