「ユキさん、怖い…」
自慢ではありませんが、よく言われます。
うかつに近寄ったら切られそうとか。
おいおい、無差別通り魔か!
それでも長く生きていると人間丸くなるもので
最近はそう言われることも少なくなりましたが、
つい最近、とある友人とのやりとりで
「あ、これだわ…」
と思ったことがありました。
「すぐにごめんって謝って、なかったことにするな」
彼女の口癖は「ごめんなさい」。
なので、これまでの会話の中でも
「ごめん」は言わなくていいよ、と
何度か伝えて来ました。
そんなある日、ひょんなことから
「本当は何がしたいの?」
という話に。
いかんせん、質問魔のわたしなので
「現状がどうなるといいなって思ってるの?」
「それはどうして?」
「そのために、何してるの?」
などなど、チャットで話を深堀り。
その過程で、わたしの目から見て
矛盾しているな、ということが出てきました。
言っていることに矛盾がある場合、
大抵は「自分の本心が分かっていない」
ものです。
もっと言えば、本心はひとつではなく
いろんな願いや望みがありますから、
矛盾があること自体に問題はありません。
ただ、現状がそれで膠着しているなら
その関連性とか優先順位の整理が
出来ていないから、動けていない。
それを、話しながら整理していきます。
すると、多くの場合本人が
本当はこれがしたかったんだ、とか
実はこれを恐れていたんだ、とか
自発的に気づきを得てくれます。
そして、じゃそれに対してどうしたい?
何ができると思う?なんて水を向ければ
本人が自分で答えを見つけ
「次にやること」が見えてくるのです。
ところが、そうならない場合もある。
それは、おそらくは
本心を認めることや
自己矛盾に向き合うことに対し
何らかのブレーキが掛かっている
という状態です。
ここ!このブレーキの存在は
その人の進化成長に
大きく影響していることが多い。
なのでこれが見えてくると
おー、キタキタ!と
問題解決、現状シフトの光が
差し込むように感じられるのです。
ということで、
彼女が話をはぐらかし始めた時点で
わたしは意地悪く、さらに
突っ込んだ質問をしました。
すると。
そんなに問い詰められると苦しい、
もう、この話はやめよう。
彼女は返してきました。
そうだよね、これじゃ尋問だよね。
本人自らが望んで、自分の本心を探りに
コーチング受けに来たわけじゃないんだから、
そこまで突っ込むのはよろしくないか。
わたしもそう思い、
「じゃ、今日はこの辺で」
と切り上げようとしました。
そこで終わるかと思いきや、
時間と労力を無駄に使わせて、ごめんなさい。
迷惑かけていること、分かってます。
そこじゃない~~~!
迷惑じゃない~~~!
つまり、分かってない~~~!!!
そして、思わずわたしが言ったのが
「すぐにごめんって謝って、無かったことにしようとするな」
誤解の無いように言っておきますが、
誰にでもこんなことをズバーッと
しょっぱなから言うワケではありません。
彼女の場合は、わたしの旧知の友人であり
これまでの関りを踏まえた上で
友人の意見として、伝えました。
なぜならば、彼女は「やりたいこと」があるのに
それができていないことで
苦しんでいるように見えるからです。
で、それを何とかしたいのか。
そこも「そもそもクエスチョン」なんですが、
【もし、何とかしたいのであれば】
そこ、避けてる限り進めないよ、と。
謝ってる暇あったら
「自分は本当は何がしたいのか」
整理して、捨てる覚悟も決めて
優先順位高いものに向けてやることやんな?
「もういい」って言ってること、
実はよくないから浮上してくるんじゃないの?
もう一歩、そこで「ごめん」で片づけないで
そこ越えることに挑戦してみたら?
そんなメッセージを送るべく
四苦八苦しているつもりではあるのですが
彼女がこれをどう取り、どう活かしてくれるか。
あるいはそもそも
現状を何とかしたいなんて思っていないのか。
それなら、大きなお世話でしかないですね。
「気を遣わせちゃっているんじゃないかと」
この会話と前後して、
別の方のお話を聞く機会がありました。
彼はフレンドリーな好青年。
話しながら、何となく
彼のブレーキの存在を感じていました。
そのうち、人からフィードバックをもらう
というような話になったのですが、
そこで彼が言ったのは
「いろいろ気を遣わせちゃってるんじゃないかな」
それは、相手が気を遣って
本音を言ってくれてないんじゃないか、と
感じる、ということ?と聞くと
そうです、との返事。
なるほど。
「本音を聞きたいんだよね?」
「はい」
「でも、自分に気を遣って、いいことだけ言ってるんじゃないかと」
「はい」
「本音を言うのって、まあ、怖いよね」
「怖いですね」
「〇〇さんは、本音で話せてると思う?」
「いや…話せてないかも」
「じゃ、相手に本音を喋ってもらうには、どこから始めたらいいと思う?」
感度のよい彼は、それまでの話を踏まえて
すぐにピンと来た。
「…俺が、まず本音で喋るってことか」
そうなの!その通り!
人間、言い出しっぺになるのは怖いんです。
言い出しっぺにより、その場の流れができる。
そんな責任を負うのって、怖いよね。
でも、誰かがやらないと
場って、動かないんだよね。
井上由紀は怖いかどうか
わたしは、人生っていうのは
自分自身の言い出しっぺにならない限り
動かないと考えています。
自分で、自分がどうしていきたいか
どうやって生きて行きたいか、
覚悟決めて、本音で語ってみる。
そこからだと思っています。
自分の本音に向き合うこと、
ましてそれを周囲に伝えることは、
かなり怖いことです。
井上由紀が怖い、と感じる方はおそらく
「あれ?言ってることとやってること、矛盾してない?」
と突っ込まれることが、怖いのだと思います。
人間の心理として、自分の言動に
一貫性を持たせたい、というのがあります。
一貫性があればエネルギーの向かい先も揃うので
いろいろと生きやすくなります。
なので、迷ったりスローダウンする時は
「なんか、矛盾してない?」
と自分を精査してみることが
かなり有効だと言えます。
しかし、自分が持っているイメージ
つまり「こうだと思っている世界」が
自分の本心と一致していないのに
それを認めたくないこともあります。
なぜ認めたくないのか?
たぶん、ですけど
今までの状態が変化せざるを得なくなる、
それが怖いんじゃないかな。
ということで、井上由紀は怖いか?
変化したくない人には、もしかしたら
超ウザくて怖いかもしれません。
その辺り、取り扱いご注意願います。
またやった!クライアントに出て行かれた話
もお楽しみください。